MGM創立70周年を記念して続編「PARTⅡ」(1976)から18年後に製作された、アンソロジー映画の第3弾。 黄金期を支えたジーン・ケリー、エスター・ウィリアムズ、ジューン・アリソン、シド・チャリシー、デビー・レイノルズ、レナ・ホーン、ミッキー・ルーニー、アン・ミラー、ハワード・キールらがにホストを担当。 |
・ジーン・ケリー / Gene Kelly / Pinterest
・ジュディ・ガーランド / Judy Garland / Pinterest
■ スタッフ キャスト ■
監督
バド・フリージェン
マイケル・J・シェリダン
製作総指揮:ピーター・フィッツジェラルド
製作
バド・フリージェン
マイケル・J・シェリダン
脚本
バド・フリージェン
マイケル・J・シェリダン
音楽:マーク・シェイマン
編集
バド・フリージェン
マイケル・J・シェリダン
出演
ジーン・ケリー
エスター・ウィリアムズ
ジューン・アリソン
シド・チャリシー
デビー・レイノルズ
レナ・ホーン
ミッキー・ルーニー
アン・ミラー
ハワード・キール
アメリカ 映画
配給 MGM
1994年製作 113分
公開
北米:1994年5月6日
日本:1994年11月
製作費 $2,500,000
北米興行収入 $274,790
*詳細な内容、結末が記載されています。
■ ストーリー ■
「ジーグフェルド・ フォリーズ」(1946)のフレッド・アステア、キャット・ウーマンを調教するルシル・ボールが登場し、世界最高の娯楽ミュージカル黄金期の様子が紹介される。
MGMのスタジオ。
ジーン・ケリーが、トーキーと共に発展したミュージカルの成功の経緯を語る。
・”My Pet Song”「The Five Locust Sisters」 (1928)
・”雨に唄えば”「ハリウッド・レヴィユー」(1929)
しかし、筋のない歌と踊りだけの作品は次第に廃れ始め、製作が中止される作品もあった。
・”The Lockstep”「March of Time(1930):Dodge Twins
その後、1930年代に入り、”Hollywood Party”「ハリウッド・パーティー」(1934)で観客を喜ばせることになる。 MGM、最初の踊るスター、エレノア・パウエルは、「踊る不夜城」(1937)のフィナーレで見事なダンスを披露する。 続いて、ミュージカルの撮影の難しさを紹介した、「Ladybe Good」(1941)で”Fascinating Rhythm”をバックにしたエレノア・パウエルのタップシーンが登場する。 MGMの黄金コンビ、ミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドの初共演作「青春一座」(1939)は、第二次大戦がヨーロッパで勃発した直後に公開され、人々の暗い心に大いに慰めを与えた。 そのミッキー・ルーニーと、デビュー作で共演したエスター・ウィリアムズが登場する。 水中シーン撮影用のプールの前で、エスター・ウィリアムズは、ジミー・デュランテと共演した「This Time For Keeps」(1947)、トムとジェリーとの「濡れたらダメよ」(1953)、そして「世紀の女王」(1944)などを紹介する。 「雲流るるはてに」(1946)が映し出され、当時のMGMスタジオの正面玄関に、主演のジューン・アリソンが現れる。 彼女のデビュー作である、ナンシー・ウォーカー、グロリア・デヘヴンと共演した「Best Foot Forward」(1943)を紹介する。 その後ジューン・アリソンは、新人がスターになるまでの道のりを解説し、「錨を上げて」(1945)のキャスリン・グレイソンや「イースター・パレード」(1948)のアン・ミラーが紹介される。 ブロードウェイから引き抜かれた天才ダンサー、ジョアン・マックラケンの「Good News」(1947)が続く。 ジーン・ケリーとフランク・シナトラ、アン・ミラーとヴェラ=エレン、ベティー・ギャレット、ジュールス・マンシンらによる、「踊る大紐育」(1949)から”On The Town”の見事なパフォーマンスが映し出される。 「いつも上天気」(1955)の場面に続き、MGMスタジオにシド・チャリシーが登場する。 彼女はジーン・ケリーの素晴らしさを語り始め、「For me and my Gal』(1942)でジュディ・ガーランドと共演した場面が映し出される。 続いて、「サマー・ストック」(1950)の新聞紙と踊るシーン、ヴェラ=エレンと共演した「ワーズ&ミュージック」(1948)、レスリー・キャロンと踊る「巴里のアメリカ人」(1951)、ドナルド・オコーナーとの「雨に唄えば」(1952)、そして、「ブリガドーン」(1954)でジーン・ケリーと共演した時の素晴らしい思い出をシド・チャリシーは語る。 さらに、「雨に唄えば」(1952)でのデビー・レイノルズの未公開シーンと共に、彼女がMGMスタジオに登場する。 彼女は、スタジオ内で作り上げられていく、女優のイメージなどを紹介する。 トニー・マーティンの「美人劇場」(1941)ではそれが頂点に達し、「I Love Melvin」(1953)でデビー・レイノルズ自身も華麗に変身する。 お色気で迫る「いつも上天気」(1955)のドロレス・グレイ、「Torch Song」(1953)のジョーン・クロフォードが画面を圧倒する。 1940年代初め、ハリウッドは南米ブームに乗り、リカルド・モンタルバンやカルメン・ミランダなどが大人気となる。 ミッキー・ルーニーも、「ブロードウェイ」(1941)で女装をしてそれにあやかる。 「ワーズ&ミュージック」(1948)のレナ・ホーンが映し出され、そして彼女がスタジオに登場し、初めてそこに来た時のことや人種の壁の苦労などを話し始める。 「Panama Hattie」(1942)の歌手役、「キャビン・イン・ザ・スカイ」(1943)ではカットされた彼女の入浴シーンがあり、「雲流るるはてに」(1946)では、白人と黒人の混血ジュリー役をレナ・ホーンは演じた。 「ショウ・ボート」(1951)でも、同じ役を演ずる予定だった彼女だったが、当時の倫理委員会が異人種間の結婚を問題視し、主演の座はエヴァ・ガードナーに譲ることになる。 その代役でレナ・ホーンは傷つくが、ジュディ・ガーランドの撮影で進んでいた「アニーよ銃をとれ」(1950)も、彼女の病気でベティ・ハットンが代役となり、ハリウッドではよくあることではあった。 ミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドの最後の共演作、「ワーズ&ミュージック」(1948)が映し出されて、そして、ミッキー・ルーニーがスタジオに登場する。 ミッキー・ルーニーは、ジュディ・ガーランドとの出会いを話し始め、天才少女と言われて出演した「Everybody Sing」(1938)、「初恋合戦」(1938)、そして「オズの魔法使」(1939)の好演でアカデミー特別賞を受賞し、彼自身がオスカーを手渡したのだった。 続いて、「ブロードウェイ」(1941)のミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランド、そして、特別出演した「雲流るるはてに」(1946)や「ハーヴェイ・ガールズ」(1946)の頃には、ジュディ・ガーランドはMGMの看板スターとなった。 「サマー・ストック」(1950)の彼女のタキシードの衣装は、実は「イースター・パレード」(1948)の未公開場面で、既に身につけていた。 その「イースター・パレード」でフレッド・アステアと共演した、アン・ミラーがスタジオに登場する。 彼女は、「イースター・パレード」のリハーサルを思い出し、フレッド・アステアともう一度踊りたいと語る。 「踊るニュウ・ヨーク」(1940)でエレノア・パウエルと共演し、1946年にMGMとも契約、「イースター・パレード」(1948)、シド・チャリシーとの共演も注目の「バンド・ワゴン」(1953)、黄金コンビ、ジンジャー・ロジャースとの「ブロードウェイのバークレー夫妻」(1948)、そして「ベル・オブ・ニューヨーク」(1952)のナンバー”I Wanna be a Dancin’ Man”、圧巻の取り直しの比較シーンが映し出される。 「アニーよ銃をとれ」(1950)のハワード・キールとベティ・ハットンが映し出され、彼がスタジオのフィルム保管庫に登場する。 ハワード・キールは、1950年代にテレビの出現で苦労した業界の裏話を始める。 「絹の靴下」(1957)では、フレッド・アステアとジャニス・ペイジがそれを皮肉り、ドリス・デイの業界秘話の作品「情欲の悪魔」(1956)、若者達が熱狂したエルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」(1957)、そして、レスリー・キャロンとルイ・ジューダンらによる、MGM黄金期の最後を飾る作品「恋の手ほどき」(1958)が紹介される。 ホストのジーン・ケリーは、あの時代に戻れなくても、自分達には思い出とフィルムがあると語り、「バンド・ワゴン」(1953)の”That’s Entertainment!”を紹介し、数々の名画で締めくくられる。
...全てを見る(結末あり)
*参考
・「ザッツ・エンタテインメント」(1974)
・「ザッツ・エンタテインメント PARTⅡ」(1975)
・「ザッツ・エンタテインメント Ⅲ」(1994)
監督、製作、脚本、編集は前作で編集を担当した、バド・フリージェンとマイケル・J・シェリダン。
前作とは一変し、第1作目と同じで、MGMの黄金期を支えた、ジーン・ケリー、エスター・ウィリアムズ、ジューン・アリソン、シド・チャリシー、デビー・レイノルズ、レナ・ホーン、ミッキー・ルーニー、アン・ミラー、ハワード・キールらが順にホストを担当する、ファンには涙ものの、たまらない構成となっている。
数え切れないスターが、フィルムで登場する中で、やはり、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドへの強い思い入れが感じられる。
MGMに、門外不出で保管されている秘蔵フィルムで、「Ladybe Good」(1941)のエレノア・パウエルのダンスシーン、非常に難しいミュージカルの撮影場面などの紹介が興味深い。
また、フレッド・アステアが「ベル・オブ・ニューヨーク」(1952)のナンバー”I Wanna be a Dancin’ Man”を踊るシーン、野暮ったいコスチュームなどを一新した、洗練された取り直しのフィルムとの比較シーンなどは圧巻だ。
トーキー初期から始まるミュージカル発展の流れや、それに伴うスター輩出の秘話、人種の問題やテレビ時代の到来の副産物でもある技術革新などまで、ハリウッドの歴史を紐解く一作として、ファンならずとも是非ともチェックしたい作品。
これほどの文化を創り出した、ハリウッドとアメリカの底力を痛感させてくれる、珠玉の作品でもある。