ナチスによる迫害で引き離された母子が再会するまでを描く、 監督フレッド・ジンネマン、主演モンゴメリー・クリフト、アリーン・マクマホン、ヤルミラ・ノヴォトナ、ウェンデル・コーリイ、イワン・ヤンドル他共演のドラマ。 |
・ドラマ
■ スタッフ キャスト ■
監督:フレッド・ジンネマン
製作:ラザール・ヴェヒスラー
原案
デイヴィッド・ウェクスラー
リチャード・シュヴァイザー
脚本:リチャード・シュヴァイザー
撮影:エミール・ベルナ
編集:ヘルマン・ハラー
音楽:ロバート・ブルム
出演
ラルフ”スティーヴ”スティーヴンスン:モンゴメリー・クリフト
マレイ夫人:アリーン・マクマホン
ハンナ・マリク:ヤルミラ・ノヴォトナ
ジェリー・フィッシャー:ウェンデル・コーリイ
カレル・マリク/”ジム”:イワン・ヤンドル
アメリカ 映画
配給 MGM
1948年製作 105分
公開
北米:1948年3月23日
日本:1954年6月4日
■ アカデミー賞 ■
第21回アカデミー賞
・受賞
原案
特別賞(イワン・ヤンドル)
・ノミネート
監督
主演男優(モンゴメリー・クリフト)
脚色賞
*詳細な内容、結末が記載されています。
■ ストーリー ■
第二次大戦終結直後、アメリカ占領下のドイツ。
”UNRRA”(連合国救済復興機関)のマレイ夫人(アリーン・マクマホン)らは、収容所などから解放され貨物列車で移送されてきた子供達を迎える。
両親や家族と引き離され心に傷を負った子供達は、有り余る食事や清潔なベッドを与えられても怯えていた。
翌日から子供達の身元調査のための聞き取りが始まり、マレイは、帽子を被った少年カレル・マリク(イワン・ヤンドル)から話を聞く。
怯えるカレルは何を聞かれてもドイツ語で”Ich weiß nicht/知らない”と答えるだけで、焦らずに彼を適切な施設に送り様子を見ることをマレイは考える。
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数年前のチェコスロバキア。
名医である父親と母親ハンナ(ヤルミラ・ノヴォトナ)、そして姉とで豊かな暮らしをしていたカレルは、ナチス・ドイツによる迫害を受けその生活を奪われる。
...全てを見る(結末あり)
*(簡略ストー リー)
第二次大戦終結直後、アメリカ占領下のドイツ。
”UNRRA”(連合国救済復興機関)のマレイ夫人は、収容所などから解放された子供達を迎える。
何を聞かれてもドイツ語で”知らない”としか答えない少年カレルは、移送中に騒ぎだした子供達と共に逃げ出し死亡したと思われる。
その頃、収容所でカレルと引き離され奇跡的に生き残った母親ハンナは、息子を捜す旅を続けていた。
アメリカ陸軍のエンジニアであるラルフ”スティーヴ”スティーヴンスンは、酷い姿で空腹だったカレルを家に連れて行く。
何を聞いても”知らない”としか答えないカレルが、”アウシュヴィッツ”に収容されていたことを知ったスティーヴは、その心の傷を察する。
カレルに”ジム”という名前を付けたスティーヴは、彼との親交を深めアメリカに連れ帰ることも考えるのだが・・・。
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痛ましい過去を振り返る物語ではなく、ほぼ公開当時の現状を伝える内容だということを思いながら観ると深く考えさせられる作品である。
撮影は終戦間もない1947年に現地ドイツで行われ、廃墟と化した街などはセットではなく、実際に戦闘で被害に遭った場所で行われたと思われる。
この時代のその状況下で、子供達に悲壮感漂う演技をさせるのは酷だったようにも思えるが、社会性のあるドラマであるため、フレッド・ジンネマンの妥協を許さない演出には不可欠であったのだろう。
アメリカ兵と不幸な身の上の少年との親交を中心に、息子の生存を信じ生き抜こうとする母親の思いや逞しさなども先妻に描く、フレッド・ジンネマンの骨太の演出は観る者の心を捉える。
痛ましい歴史の事実を見つめ直し、失ったものの修復を地道な活動で行う人々を称えているような作風でもあり、その重要な役目を担った”UNRRA”(連合国救済復興機関)職員の働きがドラマでは大きく取り上げられているのにも注目したい。
第21回アカデミー賞では、原案賞とイワン・ヤンドルが子役として特別賞を受賞した。
・ノミネート
監督
主演男優(モンゴメリー・クリフト)
脚色賞
本作がデビュー作であり、半年後の「赤い河」(1948)でも熱演して一気にスターとなるモンゴメリー・クリフトは、辛い立場の少年に対し、同情心ばかりでなく友人として接するアメリカ兵を好演している。
包容力がある人情味溢れる”UNRRA”の職員アリーン・マクマホン、諦めることなく息子を捜すヤルミラ・ノヴォトナ、主人公の同僚ウェンデル・コーリイ、そして不幸な少年を演じアカデミー特別賞を受賞したイワン・ヤンドルなどが共演している。