強大なマフィア”コルレオーネ・ファミリー”を一代で築いたドン・ヴィトー・コルレオーネの晩年から世代交代するまでを描いたマリオ・プーゾ原作による「ゴッドファーザー」(1972)の続編。 父ヴィトーから引き継いだファミリーをより強固な組織にしようとする三男マイケルと移民少年のヴィトーがファミリーを築き上げていく過程を対比して描く、監督フランシス・フォード・コッポラ、主演アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュヴァル、リー・ストラスバーグ、マイケル・V・ガッツォ、ジョン・カザール、ダイアン・キートン、タリア・シャイア共演によるドラマ。 |
・ドラマ
・アル・パチーノ / Al Pacino / Pinterest
■ スタッフ キャスト ■
監督:フランシス・フォード・コッポラ
製作
フランシス・フォード・コッポラ
フレッド・ルース
グレイ・フレデリクソン
原作:マリオ・プーゾ”ゴッドファーザー”
脚本
フランシス・フォード・コッポラ
マリオ・プーゾ
撮影:ゴードン・ウィリス
編集:リチャード・マークス
美術・装置
ディーン・タヴォラリス
アンジェロ・P・グラハム
ジョージ・R・ネルソン
衣装デザイン:サドラ・ヴァン・ランクル
音楽
ニーノ・ロータ
カーマイン・コッポラ
出演
アル・パチーノ:ドン“マイケル”コルレオーネ
ロバート・デ・ニーロ:ヴィトー・コルレオーネ
リー・ストラスバーグ:ハイマン・ロス
マイケル・V・ガッツォ:フランキー・ペンタンジェリ
ロバート・デュヴァル:トム・ヘイゲン
ジョン・カザール:フレデリコ“フレド”コルレオーネ
ダイアン・キートン:ケイ・アダムス・コルレオーネ
タリア・シャイア:コンスタンツァ“コニー”コルレオーネ・リッジ
モルガーナ・キング:カルメーラ・コルレオーネ
G・D・スプレイドリン:パット・ギアリー上院議員
リチャード・ブライト:アル・ネリ
トム・ロスキー:ロッコ・ランポーネ
ドミニク・チアニーズ:ジョニー・オラ
ブルーノ・カービー:ピーター・クレメンザ
ジョン・アプリア:サル・テッシオ(若年期)
アメリゴ・トット:マイケルのボディーガード
ガストン・モスチン:ドン・ファヌッチ
ジョー・スピネル:ウィル・チッチ
フランチェスカ・デサピーオ:カルメーラ・コルレオーネ(若年期)
レオポルド・トリーステ:シグナー・ロベルト
トロイ・ドナヒュー:マール・ジョンソン
ハリー・ディーン・スタントン:FBI捜査官
ジュゼッペ・シラート:フランシスコ・チッチオ
ダニー・アイエロ:トニー・ロサト
ジェームズ・カーン:サンティノ“ソニー”コルレオーネ
エイブ・ヴィゴダ:サルヴァトーレ・テッシオ
■ アカデミー賞 ■
第47回アカデミー賞・受賞
作品・監督
助演男優(ロバート・デ・ニーロ)
脚色・美術・作曲賞
・ノミネート
主演男優(アル・パチーノ)
助演男優(リー・ストラスバーグ/マイケル・V・ガッツォ)
助演女優(タリア・シャイア)
衣装デザイン賞
(●1901~1925年)
(○1958~1959年)
●1901年
9歳のヴィトー・アンドリーニは、シシリーのコルレオーネ村のマフィア、ドン・チッチオ(ジュゼッペ・シラート)に、両親と兄を殺され、身を隠し移民としてアメリカ、ニューヨークに向かう。
エリス島。
移民局で、無口な少年ヴィトーは、コルレオーネという姓をもらい、天然痘の疑いで3ヶ月隔離される。
○1958年
コルレオーネ・ファミリーは、ニューヨークから本拠地を西部のネバタ州、タホー湖畔に移していた。
そこでは、ドン“マイケル”コルレオーネ(アル・パチーノ)の長男アンソニーの、聖餐式の盛大なパーティーが行われていた。
その日のマイケルに、面会に来る来客は絶えない。
ネバダの利権を狙うパット・ギアリー上院議員(G・D・スプレイドリン)は、マイケルに賄賂を要求する。
しかし、ギアリーにファミリーを侮辱されたマイケルはそれを断る。
その後、マイケルの元に、マイアミを仕切る大物、ハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)の右腕ジョニー・オラ(ドミニク・チアネーゼ)が現れる。
マイケルは、義兄のトム・ヘイゲン(ロバート・デュヴァル)や右腕ロッコ・ランポーネ(トム・ロスキー)らに、席を外すよう指示を出す。
...全てを見る(結末あり)
参考:
・「ゴッドファーザー」(1972)
・「ゴッドファーザーPARTII」(1974)
・「ゴッドファーザーPARTⅢ」(1990)
*(簡略ストー リー)
ニューヨークから、拠点をネバタのタホー湖畔に移していたコルレオーネ・ファミリーのドン、マイケルは、政情の不安定なキューバを利用した新たるビジネス展開を模索していた。
そのパートナーとなるはずの、父ヴィトーの盟友である大物ハイマン・ロスとの、互いを牽制した”戦い”が始まる。
マイケルは身内の裏切り者を探し、それが実兄のフレドだと知り愕然とする。
ロスとのビジネスは、キューバ革命によって流れてしまい、マイケルは迫る組織の危機と裏切り者を排除するための計画を実行に移す・・・。
ニューヨーク。
1901年、家族を地元のマフィアに殺された9歳少年ヴィトー・アンドリーニは、シシリーのコルレオーネ村を脱出し、移民としてアメリカに向かう。
その後、地道に働いて家族を持ったヴィトーは、街を牛耳る大物に職を奪われたのをきっかけに、裏社会に入り頭角を現す。
やがてヴィトーは、強大な権力を持つマフィアのボスに伸し上っていく・・・。
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前作「ゴッドファーザー」(1972)を凌ぐ、深みのあるストーリーと新たな登場人物、ファミリーを築くドン・ヴィトーのルーツや、組織の誕生までの秘話などを随所に挿入しながら展開する。
時代の流れを利用した、若きドンが仕掛ける新たなるファミリー拡大への野望と、その結果訪れる悲劇を描く壮大なドラマ。
1993年、アメリカ議会図書館が、国立フィルム登録簿に登録した作品でもある。
(Part1は1990年に登録された)
第47回アカデミー賞では、9部門にノミネートされ、作品、監督、助演男優(ロバート・デ・ニーロ)、脚色、美術、作曲賞を受賞した。
・ノミネート
主演男優(アル・パチーノ)
助演男優(リー・ストラスバーグ/マイケル・V・ガッツォ)
助演女優(タリア・シャイア)
衣装デザイン賞
*フランシス・フォード・コッポラは、前作で果たせなかった監督賞を受賞し、続編が1作目に続き作品賞を獲得したのは史上初の快挙。
少年ヴィトーがシシリーを追われ、新天地で成り上がっていくストーリーを、時代を前後させる、巧みな手法で描いているところが興味深い。
巨大な組織の頂点を、家族の愛と共に手中にしよとする若きヴィトーと、権力を掌握するが失う物も大きいマイケルの悲劇を、過去の映像を同時進行させて描き、観客に比較をさせようとしている。
驚くべきは、若きヴィトーが家族と住むリトル・イタリアの街並みのセットの見事なこと。
美術・装置でアカデミー賞受賞は納得だが、作り物とは思えないほど美しく、20世紀初頭の人々の様子や衣装を含め、正に芸術品そのものとも言える。
アカデミー作曲賞を受賞した、ニーノ・ロータとコッポラの父カーマイン・コッポラの、前作の哀感漂うメロディに加え、逞しく生き抜いた時代を表現する、力強さが加わった主題曲も素晴らしい。
前作のマーロン・ブランドに劣らない、アル・パチーノの重厚な演技は、小柄ながらも、巨大な組織を動かすドンの秘めたパワーと冷酷な怖さも感じさせる。
特筆すべきは、前作でソニー役を予定していた若きヴィトー役のロバート・デ・ニーロだ。
その完璧と言える演技は、各方面でも絶賛された。
人を引きつけて統率できる人物の表情や物腰などを、これだけ見事に演じられる30歳のデ・ニーロに、当時、天才俳優が現れたと、子供心に驚いたものだ。
コルレオーネ・ファミリーを潰しにかかる黒幕ハイマン・ロスを演ずるリー・ストラスバーグ、彼の策略と微妙に絡むF・ペンタンジェリ役のマイケル・V・ガッツォは、共にアカデミー助演賞の候補に上がっただけあり強烈な印象を残す。
血生臭い戦いに徐々に向かなくなる弁護士で、主人公の義兄ロバート・デュヴァル、ファミリーのために行った裏切りを許されないジョン・カザール、巨大なファミリーを動かす夫についていけないダイアン・キートン、主人公を憎むが、妹として”家族”の絆を保とうとするタリア・シャイア、その母親モルガーナ・キング、ファミリーの罠にはまる悪徳政治家G・D・スプレイドリン、無表情なマイケルの側近兼殺し屋リチャード・ブライト、同じくトム・ロスキー、そして、若き日のクレメンザ役を好演する、ブルーノ・カービーとテッシオのジョン・アプリア、リトル・イタリアのドン、ガストン・モスチン、FBI捜査官ハリー・ディーン・スタントンなどが共演している。
また、フランク(M・V・ガッツォ)の部下で、前作に続き出演するジョー・スピネル、往年の二枚目スター、トロイ・ドナヒュー、フランクを絞め殺そうとする殺し屋ダニー・アイエロ、そして、ラストの回想シーンでジェームズ・カーンも登場する。
私の長い映画人生の中で、よく聞かれるのが”あなたのベスト作品は?”という問いかけだ。
30年近く前までは、一本に絞ることは難しかったのだが、今では本作だと言い切っている。
1991年にLDで発売された、「The Godfather Epic 1901-1959」という、Part1とPart2を年代を追って描く、アメリカでテレビ放映された、7時間余りの特別版は見応えがある。
2作にはないシーンが約1時間も追加された年代記で、非常に解りやすい構成になっている。
私はLD版をもってはいるが、この特別版については、現在DVDなどでもリリースされていないために残念でならない。
実は上記のように、現代の悲劇と過去の栄光を対比させているところに”PART2”の価値と意味があるので、”1901-59”版は、大袈裟に言えば邪道という意見もあり、批評家の評価は良くない。