イタリア、ミラノ。
戦火の中、人々は、”レオナルド・ダ・ヴィンチ”の”最後の晩餐”を守ろうとする。
ハーバード大学のフランク・ストークス(ジョージ・クルーニー)は、”最後の晩餐”など歴史的遺産が消え去ろうとしている状況をフランクリン・ルーズベルト大統領(マイケル・ダルトン)に訴える。
ルーズベルトは、これは戦争であり、美術品だけでなく多くの人命が奪われていると意見する。
”ヘントの祭壇画”がナチスにより略奪されたことを話したストークスは、連合軍は戦争には勝つだろうが、美術品や文化財が破壊されたら取り返しがつかない事態になるとルーズベルトに伝える。
ベルリンに攻め込もうとする連合軍の反攻作戦の説明をしたストークスは、”ダビデ像”や”モナ・リザ”は誰が守るのかが問題だとルーズベルトに伝える。
どうしたいのか訊かれたストークスは、若い美術学者達を戦地に送り込み、美術品を救い出すことを提案する。
ルーズベルトから、自分に頼むしかないと言われたストークスは、全力を尽くすことを伝える。
1944年3月、ニューヨーク。
メトロポリタン美術館のキュレーターである友人のジェームズ・グレンジャー(マット・デイモン)に会ったストークスは、戦地に行く気はあるか尋ねる。
ストークスは、残された美術品を守り奪われた物を取り戻す作戦実行チーム”モニュメンツ・メン”を結成したことをグレンジャーに伝える。
メンバーはグレンジャーを含めた7人で、イギリスで新兵訓練を受けて命令を待つことを話すストークスは、戦場では素人のチーム編成を始める。
シカゴの建築家リチャード・キャンベル(ビル・マーレイ)、イギリス人の歴史家ドナルド・ジェフリーズ(ヒュー・ボネヴィル)、フランス人美術商のジャン=クロード・クレルモン(ジャン・デュジャルダン)、演劇プロデューサー兼美術鑑定家のプレストン・サヴィッツ(ボブ・バラバン)、彫刻家のウォルター・ガーフィールド(ジョン・グッドマン)らがイギリスに招集される。
ジェフリーズに迎えられたストークスとグレンジャーは、ドイツ生まれのアメリカ陸軍二等兵サム・エプスタイン(ディミトリー・レオニダス)を紹介される。
新兵訓練を受けるメンバーらは、ストークスから作戦の目的を説明され、かつて美術学校に通っていたヒトラーが、リンツに巨大な”総統美術館”を建設する予定があることを知る。
既に各地で美術品は略奪され、ナチはどこかに隠していると言うストークスは、パリの美術館長と親しいグレンジャーに、現地での情報収集を指示する。
グレンジャーは、ドーヴィルに上陸してパリに案内されることになる。
1944年7月、ノルマンディー。
終戦も近い状況ではあったが危険が伴うことを伝えられたメンバーは、上陸用舟艇で海岸に向かう。
現地のキャンプに向かい指揮官と話したストークスは、教会を破壊せねば兵士が狙撃される危険があると言われ、自分達の考えを受け入れてもらえない。
帰宅したクレールは、その場にシュタールがいたために驚き、レジスタンスの弟がいるか訊かれる。
弟がレジスタンスであることを否定したクレールだったが、トラックを盗もうとして、今朝、射殺されたことを知らされる。
それが、ドイツに輸送される美術品を積んだトラックだと言われたクレールは、シュタールから、弟がそのことを知っていた理由を訊かれる。
答えないクレールに部屋を調べると伝えたシュタールは、好きなようにしてほしいと言う彼女に、何か見つかれば解雇ではなく親衛隊に引き渡すと警告する。
シュタールから、弟がセーヌ川に捨てられたことを知ったクレールは涙する。
ドーヴィル。
現地に着いたグレンジャーは、協力者の男とフランス語で話すが、英語にしておいた方がいいと言われる。
移動手段がないストークスは、ドイツ兵が乗り捨てた”キューベルワーゲン”を手に入れたエプスタインを見かけて、彼に協力を求める。
フィールディング少佐(マイルス・ジャップ)に会ったストークスは、ドイツ側から奪い返した美術品を見せられ、捕虜の兵士を尋問するものの情報は得られなかった。
尋問は見せかけで、エプスタインに捕虜の会話を盗み聞きさせたストークスは、”美術品はジーゲンへ運ぶ”という情報を入手する。
協力者エミール(アレクサンドル・デスプラ)の家に案内されたグレンジャーは、フランス語の酷さを指摘される。
街の騒ぎに気づいたクレールは美術館に向かい、シュタールらがその場を引き払ったことを知る。
駅に向かい、美術品を列車で運ぶシュタールに、逃げても無駄だと伝えたクレールは発砲されるものの、彼を睨み続ける。
サン=ロー。
エプスタインと共に仲間達の元に戻ったストークスは、美術品がジーゲンに運ばれることを知らせ、ナチがすべてを奪い逃げる気だと伝える。
キャンベルとサヴィッツをヘントへ、ガーフィールドとクレルモンはドイツのアーヘンへ、ストークスはエプスタインと共に行動し、ジェフリーズは、若いころに暮らしたことがあるベルギーのブルージュに向かうことになる。
パリが解放されたので、グレンジャーから連絡があるはずだとジェフリーズに伝えたストークスは、酒と金のせいでトラブルを起こし父親に迷惑をかけたために後悔する彼から、作戦に参加させてくれたことで感謝される。
無線機をテストしたストークスは、今回の作戦は成功を期待されていないものであり、戦争で多くの命を奪われている時に、美術品のことなど心配していられないというトップの考えを伝える。
それは間違いだと言うストークスは、自分達の戦いは文化や生き方を守るたためのものであり、人々は立ち直れても、文化や歴史は破壊されたら後に残るのは灰だけだと伝える。
それがヒトラーの狙いだと言うストークスは、絶対に阻止すると伝えて無線を切る。
乾杯しようと言うクレルモンは、戦闘機のパイロットになりたかったものの、視力と聴力に問題があったために諦めたことを話す。
この作戦でなら戦争に参加できると思い、皆と気持ちは同じだと伝えたクレルモンは、フランスを代表して感謝しモニュメンツ・メンに乾杯する。
家族のことなどをエミールと話し親交を深めたグレンジャーは、翌日、彼と共に複葉機でパリに向かう。
美術館の館長である友人のルネ・アルマンド(セルジュ・アザナヴィシウス)に会ったグレンジャーは、国の所蔵品は無事だが個人の美術品は救えなかったことを知る。
ドイツに奪われた物を取り戻すとルネに約束したグレンジャーは、ナチの協力者とみなされて収監されているクレールの元に向かう。
クレールにフランス語で自己紹介したグレンジャーは、英語で話すようにと言われて、奪われた美術品を取り戻すことを伝える。
占領下での美術館のことを訊かれたクレールは、ゲーリングが好きな物を持ち去ったと伝え他だけで、美術品の行き先を尋ねるグレンジャーを牽制する。
ヘント。
運び出されたいた”ヘントの祭壇画”がナチに奪われたことを知ったサヴィッツは、パットンよりも先にドイツに入るしかないことをストークスに伝える。
ストークスは、祭壇画を最優先で奪い返すことをサヴィッツに指示する。
外に出て用を足そうとしたサヴィッツは、隠れていたドイツ兵に銃を向けられる。
両親と共に1938年にドイツを出国したと話すエプスタインから、国に祖父を残してきたと言われたストークスは、消息は4年前に途絶え、ダッハウ強制収容所に連行されたのだろうという話を聞く。
サヴィッツがドイツ兵に銃を向けられていることを知ったキャンベルは、英語が通じない相手にタバコとライターを渡す。
吸わないと言うサヴィッツに、吸うようにと指示したキャンベルは、自分も吸って兵士の様子を見る。
兵士から”ジョン・ウェイン”と言われたキャンベルは、サヴィッツと共に微笑み、どうせ捕まると言って、兵士を捕らえずに建物に戻る。
アーヘン。
地元の神父から、奪われた美術品はメルカースに向かったと言われたクレルモンとガーフィールドは、狙撃兵に狙われる。
ガーフィールドの援護で建物に向かったクレルモンは、狙撃していた”ヒトラーユーゲント”の少年を捕らえる。
ベルギーのブルージュ近郊に着いたジェフリーズは、司令官のラングトン大佐(サム・ヘイゼルダイン)に会い、美術品を守る任務を伝えて、町に入る許可を得ようとする。
ブルージュは攻撃せずに、撤退する敵を攻めると言うラングトンだったが、ジェフリーズから、フィレンツェ撤退時にドイツ軍が町を破壊したことを伝える”星条旗新聞”の記事を見せられる。
終戦は間近なので状況は違うと言うラングトンに、兵士2名とブルージュに向かいたいと伝えたジェフリーズだったが、奪還後にするようにと指示され納得するしかなかった。
それを無視してブルージュの聖母教会に向かったジェフリーズは、”ミケランジェロ”の聖母子像の無事を確認する。
修道士達と聖母子像を守ろうとしたジェフリーズだったが、現れたヴェグナー大佐らドイツ兵に像を奪われてしまう。
隠れていたジェフリーズはヴェグナーに発砲するが、銃弾を受けて命を落とす。
その後、迷惑をかけた父に宛てたジェフリーズの手紙を確認したストークスは、必ず家族に届けてほしいとラングトンに伝える。
ラングトンから、ジェフリーズには行くなと伝えたと言われたストークスは、聖母子像がナチに奪われたことを知り、取り戻すと伝えてその場を去る。
ガーフィールドからメルカースに美術品を運んだと言う情報を得たストークスは、ジェフリーズのことは残念だったと言われる。
クレールと共にユダヤ人の押収品の倉庫を訪れたグレンジャーは、ある一枚の絵の持ち主の家を探す。
その家を訪ねて、かけられていたと思われる壁に絵を戻したグレンジャーは、現れたクレールから、住人は戻らないと言われる。
見つけた美術品を戻すのが自分の仕事だと言うグレンジャーは、これが始まりだとクレールに伝える。
1944年12月、バルジの戦い。
キャンベルとサヴィッツは、家族から届いたクリスマスの贈り物をチェックする。
家族の声が録音されたレコードが入っていることに気づいたキャンベルは、蓄音機を探さなければならないと考える。
エプスタインと共に負傷兵を運んだストークスは、軍医(グラント・ヘスロヴ)に引き渡す。
シャワーを浴びていたキャンベルは、スピーカーから聴こえる家族の声に気づく。
蓄音機を見つけたサヴィッツが、キャンベルのためにレコードをかけてあげたのだった。
負傷兵の様態を気にするエプスタインは、軍医から大丈夫だと言われ兵士の手を握る。
キャンベルの家族が歌う”Have Yourself a Merry Little Christmas”は、キャンベル、サヴィッツ、そして兵士達の心を癒す。
グレンジャーからの報告を受けたストークスは、ソ連軍が戦利品として美術品を奪っていることを知らされる。
ストークスは、息子が名誉を取り戻せたことを喜んでいるという、ジェフリーズの父親から届いた手紙のことをグレンジャーに話す。
ジェフリーズが守ろうとした聖母子像の行方が分からないために、ストークスは、クレールから情報を聞き出してほしいとグレンジャーに伝える。
ヒトラーが破壊命令”ネロ指令”を発令したことを知ったグレンジャーは、クレールに協力を求めるものの断られる。
ドイツ、レマゲン。
仲間達と合流したストークスは、グレンジャーから知らされたネロ指令のことを話し、ガーフィールドとクレルモンをメルカースに、自分達はジーゲンに向かいニュルンベルグで合流うすることにする。
歯を痛めたキャンベルは歯科医(ミヒャエル・ブランドナー)に診てもらい、パリで美術を学んだ甥が力になれるかもしれないと言われる。
歯科医と共に元兵士だったという甥の家に向かったキャンベルとサヴィッツは、家主だったシュタールに迎えられる。
数々の名画のレプリカに驚くサヴィッツは、それらを見て回る。
美術品を探しているというキャンベルから、奪った絵画などを親衛隊が隠しているはずだと言われたシュタールは、協力を求めらえるものの、自分は親衛隊ではなかったので無理だと伝える。
セザンヌの絵をチェックしたサヴィッツは、シュタールに”ロスチャイルド”のことを尋ね、知らないと言う彼に、世界的な美術収集家でユダヤ人だと伝える。
額の裏に”ロスチャイルド”と記されていることを指摘されたシュタールは、譲ってもらったと言いながら苦笑いする。
”ハイル・ヒトラー”と言うサヴィッツの言葉に子供達が敬意を表したために戸惑うシュタールは、キャンベルが銃を手にしていることに気づく。
キャンベルとサヴィッツは、シュタールを連れてニュルンベルグに向かう。
その頃、ストークスとエプスタインは、ジーゲンに到着する。
道に迷ったガーフィールドとクレルモンは、馬を見つけたために車を止める。
クレルモンは馬に近づき、タバコを吸いながら息抜きするが、ガーフィールドは隠れている味方の兵士に気づく。
敵がいることを兵士から知らされたガーフィールドは、クレルモンに声をかける。
林の中に敵がいることに気づいたクレルモンは、ガーフィールドが運転する車に戻りながら銃弾を受ける。
クレルモンは、ガーフィールドに見守られながら息を引き取る。
ニュルンベルグ。
任務をやり遂げることをメンバーと共に確認したストークスは、ガーフィールドを帰国させようとするが、このまま続けさせてほしいと言われる。
シュタールから聞き出した情報を参考にしても、ジーゲンには何もなかったことの説明がつかないストークスは、メルカースには鉄道や飛行場もなかったために不思議に思う。
エプスタインから、メルカースの岩塩抗やジーゲンには銅山があると言われたストークスは、現地に向かう。
鉱山を調べたストークスらは、壁の奥に隠された1万6000点もの美術品の倉庫を見つける。
それを知らせるストークスからの手紙を受け取ったグレンジャーは、ジェフリーズが命を懸けて守ろうとした聖母子像はなかったものの、メルカースの岩塩抗にあるかもしれないということを知り、仲間達の元に向かう。
シュタールが逮捕されたことを新聞記事で知ったクレールは、カフェにいる自分に気づいたグレンジャーを呼び寄せる。
珍しく笑顔のクレールに、メルカースへの移動命令が出たことを話したグレンジャーは、仲間が絵を取り戻したことを知っていた彼女に、明日の朝、発つことを伝える。
それならば今夜はパーティーだとグレンジャーと話すクレールは、アパートの住所を知らせて正装で来てほしいと伝える。
一番いいシャツを着てクレールのアパートを訪ねたグレンジャーは歓迎され、ジャケットとネクタイを渡される。
奪った美術品の記録を残していたクレールは、その資料をグレンジャーに見せて、自分の命と同じである、”ジュ・ド・ポーム国立美術館”に集められたすべての美術品の台帳を渡す。
驚いたグレンジャーは後は任せると言われ、バイエルンにある”ノイシュヴァンシュタイン城”が美術品の行き先だということを知り、クレールに感謝する。
コニャックを勧められたグレンジャーは、帰らなくてはならないと伝えるものの、泊っていってもいいと言われる。
ここはパリなので・・・と言われたグレンジャーは、クレールの手を握り微笑み、ネクタイは気に入ったと伝えて、台帳を手にしてその場を去る。
1945年4月、メルカース。
岩塩抗に保管されていた美術品を見て驚くグレンジャーは、仲間達に歓迎される。
聖母子像が見つからないことをストークスから知らされたグレンジャーは、必ず見つけると彼に伝える。
ある扉の奥を調べたエプスタインとキャンベルは、その場に隠されてていた国家の金塊を発見する。
岩塩抗を視察した、アイゼンハワー、ブラッドリー、パットンは、その場で会見を開く。
ストークスにある場所に案内されたエプスタインは、少年時代に見てはいけないと言われていたレンブラントの自画像を前に、やっと会えたとつぶやく。
ハイルブロン岩塩抗。
ヴェグナー大佐は、その場の美術品を火炎放射器で焼却させて、オーストリアのアルトアウスゼーに向かう。
その後、ハイルブロン岩塩抗を調べたストークスらは、グレンジャーが不発地雷の上に乗ってしまったことを知り、建築家のキャンベルに意見を求める。
グレンジャーの体重と同じ重しを作り、足を離すようにと指示したキャンベルは、皆と共にその場に残る。
足を動かしたグレンジャーは、小規模な発火で助かる。
総統美術館の模型と展示美術品カタログを見つけたソ連軍の指揮官は、聖母子像の写真も確認する。
サヴィッツは、灰となったピカソの絵の額を発見し、グレンジャーは、エプスタインが見つけた物が大量の金歯であったために驚く。
ノイシュヴァンシュタイン城。
数えきれない美術品を前にグレンジャーは、ジュ・ド・ポーム美術館から運ばれた”スピナリオ”の台座の印と、クレールの台帳の印が一致していることを確認する。
その場を調べていたガーフィールドは、ヘントの祭壇画がアルトアウスゼーの岩塩抗に運ばれたことを知る。
現地に向かうストークスらは、途中、兵士から戦争が終わったことを知らされる。
岩塩抗に着いたストークスは、その場が爆破されていることを知り、捕らえれれていたヴェグナー大佐と話をする。
内部のことをヴェグナーに尋ねたストークスは、終戦で家に帰れると言う彼に、以前は強制収容所の所長ではなかったかと尋ねる。
どこで知ったのか訊かれたストークスは噂だと答え、自分がユダヤ人でないことを確認したヴェグナーから、それは幸運だったと言われる。
帰国してマンハッタンのアパートに戻り、ユダヤ人のカフェで朝食をとるのを楽しみにしていると話すストークスは、戦争犯罪人のヴェグナー大佐が処刑されて、無名墓地に埋葬されたという新聞記事を読むだろうと伝える。
爆破したのは地元の住人で、ナチが、美術品を運べないように入り口だけ潰したことを知ったサヴィッツは、それをストークスらに伝える。
住民の協力を得ても掘り出すのに1~2日かかり、ソ連の占領下になるため、司令部の命令で今夜中に撤収だと指揮官から知らされたグレンジャーは、爆破して瓦礫をどかそうとする。
爆破音を聞いたソ連軍の指揮官は、アルトアウスゼーに向かう。
坑内に入ったストークスらは、ヘントの祭壇画を発見して運び出す。
サヴィッツから一枚足りないと言われたキャンベルは、それがテーブルに使われていたことに気づく。
撤収が始まり、聖母子像を探していたストークスは、トロッコの上に無造作に置かれてシートが被されていた像を見つける。
ストークスは、グレンジャー、キャンベル、サヴィッツと共に聖母子像を運び出す。
モニュメンツ・メンは、ソ連軍が迫る中、3000点もの美術品を運び出した。
岩塩抗に到着したソ連軍には、星条旗が残されていた。
サヴィッツとキャンベルがヘントの祭壇画をベルギーに運び、”聖バーフ大聖堂”に返還された。
グレンジャーは、ノイシュヴァンシュタイン城のフランスの美術品をパリに返却した。
駅に向かったクレールは、グレンジャーに渡したネクタイが貨物車に縛り付けられていることに気づき、彼に感謝する。
帰国するグレンジャーは満足する。
個人所有の膨大な数の美術品を取り戻したことを報告するストークスは、その他も含めた総数が500万点以上に及ぶことをハリー・S・トルーマン大統領(クリスチャン・ロドスカ)に伝える。
失われたままの物もあるため、許可をもらえれば捜し続けると言われたトルーマンは、陸軍長官のスティムソンと検討してから返事をすると答える。
戦死者の話になったストークスは、聖母子像を守ったジェフリーズは、命をかける価値があったかと訊かれ、もちろんだと答える。
更にストークスは、30年後も聖母子像のために死んだ者がいることを人々が覚えていると思うかと訊かれる。
1977年、ベルギー、ブルージュ。
聖母教会を訪れたストークス(ニック・クルーニー)は、聖母子像を前にして、30年前にトルーマンから問われたことに答える。
”もちろんです”と言って像の台座に触れたストークスは、孫と共にその場を去る。