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ウィルソン Wilson (1944)

第28代アメリカ合衆国大統領として世界平和に尽力し国際連盟設立に貢献して”ノーベル平和賞”を受賞(1919年)したウッドロー・ウィルソンの政治家人生を描く、製作ダリル・F・ザナック、監督ヘンリー・キング、主演アレクサンダー・ノックスチャールズ・コバーンジェラルディン・フィッツジェラルドトーマス・ミッチェルヴィンセント・プライスセドリック・ハードウィック他共演のヒューマン・ドラマ。

アカデミー賞 ■ ストーリー ■ 解説


ドラマ(ヒューマン)


スタッフ キャスト ■
監督:ヘンリー・キング

製作:ダリル・F・ザナック
脚本:ラマー・トロッティ
撮影:レオン・シャムロイ
編集:バーバラ・マクレーン
美術・装置
ウィアード・イーネン
トーマス・リトル
音楽:アルフレッド・ニューマン

出演
ウッドロー ・ウィルソンアレクサンダー・ノックス
ヘンリー・ホームズ博士:チャールズ・コバーン
イーディス・ボーリング・グラント・ウィルソンジェラルディン・フィッツジェラルド
ジョーゼフ・タマルティトーマス・ミッチェル
ウィリアム・G・マカドゥーヴィンセント・プライス
ヘンリー・カボット・ロッジセドリック・ハードウィック
エレノア・ウィルソンメアリー・アンダーソン
マーガレット・ウィルソンルース・フォード
ジェシー・ウィルソン:マデリン・フォーブス
エレン・アクソン・ウィルソンルース・ネルソン
キャリー・グレイソン医師:スタンリー・リッジス
ジョセファス・ダニエルズシドニー・ブラックマー
エドワード・H”ビッグ・エド”ジョーンズ上院議員:サーストン・ホール
エディ・フォイエディ・フォイJr.

アメリカ 映画
配給 20世紀FOX
1944年製作 153分
公開
北米:1944年8月1日
日本:未公開
製作費 $4,000,000
北米興行収入 $2,000,000


アカデミー賞 ■
第17回アカデミー賞

・受賞
脚本・撮影(カラー)・編集・録音・美術賞(カラー)
・ノミネート
作品・監督
主演男優(アレクサンダー・ノックス
特殊効果・音楽賞(ドラマ・コメディ)


*詳細な内容、結末が記載されています。
ストーリー ■
1909年。
プリンストン大学学長ウッドロー・ウィルソン(アレクサンダー・ノックス)は、エドワード・H”ビッグ・エド”ジョーンズ上院議員(サーストン・ホール)らの訪問を受ける。

ウィルソンは、ジョーンズ上院議員からニュージャージー州知事に立候補するよう要請される。

野心家ではないウィルソンだったが、妻エレン(ルース・ネルソン)や娘達、エレノア(メアリー・アンダーソン)、マーガレット(ルース・フォード)、ジェシー(マデリン・フォーブス)に後押しされ立候補を決意する。

民主党議員や学生達の助けを借りたウィルソンは、大々的な選挙キャンペーンを始め、支持者を前に縁談に立つ。

そこで、州議会のジョーゼフ・タマルティ(トーマス・ミッチェル)から、ウィルソンは、ジョーンズら大物議員に操られていると批判されてしまう。
...全てを見る(結末あり)

ウィルソンは聴衆の前で、ジョーンズが今後、上院議員に立候補しないことを約束させて支持を受ける。

しかし、ウィルソンや民衆を甘く見るジョーンズには、それが選挙に勝つための謀略で、一線から手を引く気など全くなかった。

率直に意見を述べるウィルソンを、大学の同僚で教授のヘンリー・ホームズ博士(チャールズ・コバーン)は、頼もしく思う。

そしてウィルソンは見事に当選し、自分を批判したタマルティを参謀にしてジョーンズを呼び出す。

ウィルソンは、再選をほのめかしたジョーンズを痛烈に批判し、民衆との約束を守るよう言い渡す。

1912年、民主党全国大会
各州代表による大統領候補選出投票が行われ、46回目の投票で接戦を制し、ついにウィルソン民主党の大統領候補となる。

大統領選に備え、全国遊説を始めたウィルソンは、国民に対して民主主義再建を唱える。

そしてウィルソンは大統領選に圧勝し、第28代アメリカ合衆国大統領となり、支援してくれた母校の学生達などに心から感謝する。

1913年3月、ワシントンD.C.
ホワイトハウス入りしたウィルソンと家族は、歴史の作られた各部屋を案内されて感銘を受ける。

公務を開始したウィルソンは、”アンダーウッド関税法”、”クレイトン反トラスト法”、”連邦取引委員会法”、そして”アダムソン8時間労働法”など、次々と法案を通していく。

ウィルソンの次女ジェシーの結婚が決まり、家族でその準備を始めていた頃、妻エレンが体調を崩し、その後、病に倒れて帰らぬ人になる。

30年間、自分を支えてきてくれた妻の死に打ちひしがれるウィルソンだったが、ヨーロッパでは戦争の暗雲が立ち込めついに第一次大戦が勃発する。

1915年5月7日。
イギリスの客船”ルシタニア”が、ドイツ海軍Uボートの魚雷攻撃で沈没する。

アメリカ人128人を含む1198名もの乗客が死亡し、参戦か否かで世論は二分する。

しかし、閣僚達が参戦を主張する中、ウィルソンはあくまで中立を保とうとする。

ウィルソンは、ドイツに対して抗議文書を送り、その結果、ドイツは潜水艦による作戦行動を中止する。

その頃、ウィルソンポカホンタスの子孫でもある未亡人イーディス・ボーリング・グラント(ジェラルディン・フィッツジェラルド)を紹介され、やがて二人は愛し合うようになる。

早々にイーディスに求婚したウィルソンだったが、彼女はそれを断ってしまう。

その後ウィルソンは、再選を前に、イーディスを公の場に同伴させてゴシップとなってしまう。

それを知ったイーディスは、ウィルソンの再選の妨げになることを避けるために、彼との結婚を決意する。

1915年12月18日。
二人の挙式は、ホワイトハウスで小ぢんまりと執り行われる。

民主党全国大会で再指名されたウィルソンは、大統領選で、最高裁判所判事のチャールズ・エヴァンズ・ヒューズとの戦いとなる。

投票日当日、ヒューズ当確との情報も入る中、ウィルソンが僅差で再選を決める。

1917年4月。
ウィルソンは、ドイツの潜水艦作戦再開の報せを受け、度重なる参戦への挑発行為を、アメリカ政府と国民への戦争と捉える。

そして、ドイツ大使を本国に引き上げさせたウィルソンは、ついに、ドイツに対する宣戦布告の承認を議会に求める。

民主共和両党、ウィルソンの政策を批判する反対派の急先鋒ヘンリー・カボット・ロッジ(セドリック・ハードウィック)までもが、大統領の演説に拍手を贈る。

国民は一丸となり、正義と平和を求めた戦いの準備を始める。

ウィルソンイーディスと共に、前線に向かう兵士達のために率先して雑用をこなす。

そんなウィルソンは出征する兵士を前に、真の平和を勝ち取るための戦いに勝利した暁には、それを追求する世界規模の”連盟”を作ることを約束し、彼らを戦地に送り出す。

1918年1月8日。
ウィルソンは議会演説で”十四か条の平和原則”を発表する。

10月。
死傷者急増の報せに心を痛めるウィルソンだったが、州知事時代からの参謀で、大統領首席補佐官タマルティが、ドイツが講和を求めてきたという一報を大統領に届ける。

11月11日。
終戦を迎え、ウィルソンは講和会議のためにパリに向かう。

各国首脳、ウィルソンデヴィッド・ロイド・ジョージ(イギリス)、ジョルジュ・クレマンソー(フランス)、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルラン(イタリア)は、講和条約に”国際連盟”設立を盛り込むことを決める。

その頃、アメリカでは37名の上院議員が国際連盟参加を拒否する署名を提出していた。

フランスクレマンソーは、ドイツの領土分割を強く主張するが、ウィルソンはそれを断固受け入れなかった。

ウィルソンは、国内の上院議員の反発などは、国民の意思で一蹴できると断言してクレマンソーを納得させる。

1919年6月28日。
そして、ヴェルサイユ宮殿講和条約は調印される。

帰国したウィルソンは、将来の戦争を避けるためには不可欠な、国際連盟参加の必要性を反対派のロッジ議員らに説明する。

しかし、アメリカの国力の浪費とヨーロッパの言いなりになることを避けることを主張し、モンロー主義を唱えるロッジの考えは変わることなく、ウィルソンは国民に選択を委ねることにする。

ウィルソン首席補佐官タマルティに、全国遊説を始める準備をさせるが、彼は激務が続く大統領の健康を案ずる。

全国各地で、国際連盟参加の支持を訴えたウィルソンだったが、疲労は極限に達する。

大統領の主治医キャリー・グレイソン(スタンリー・リッジス)は、即刻ワシントンD.C.に戻るべきだと主張するが、ウィルソンの意思は固く遊説を続ける。

1919年10月2日。
脳梗塞を発症したウィルソンワシントンD.C.に戻り、左半身不随、左側視野欠損、言語障害と診断される。

イーディスは、副大統領トーマス・マーシャルに大統領職を渡すことを考えるが、側近は国際連盟参加に命をかけたウィルソンの影響力の大きさを懸念する。

そこで、ウィルソンの執務不能という状況を公には隠して、イーディスが大統領の決裁の窓口となることを決める。

1920年。
共和党ウォレン・ハーディング上院議員が大統領選を制し、国際連盟参加の道は閉ざされる。

8年間のウィルソンの任期は終わり、自分を支えてくれた海軍長官ジョセファス・ダニエルズ(シドニー・ブラックマー)らに別れを告げる。

ロッジ議員らも、上下両院の議会閉会準備を知らせに現れ、ウィルソンに最後の言葉を求める。

ウィルソンロッジに、話は何もないことを伝え、必ずや訪れるであろう、自らの考える世界平和の理念を胸に、彼は、妻イーディスと共にホワイトハウスを去っていく。


解説 評価 感想 ■

*(簡略ストー リー)
1909年。
プリンストン大学学長ウッドロー・ウィルソンは、民主党上院議員の勧めで、ニュージャージー州知事に立候補する。
野心家でないウィルソンだったが、妻エレンや娘達エレノアマーガレットジェシーらに後押しされて立候補を決意し、見事に当選を果たす。
その後ウィルソンは、民主党の大統領候補になり、民主主義の再建を唱える。
1912年。
そして、ウィルソンは大統領選に圧勝して、第28代アメリカ合衆国大統領となる。
エレンの死の悲しみを乗り越え、第一次世界大戦が勃発するものの、ウィルソンは中立を保とうとする。
1917年4月。
ウィルソンは、僅差で二期目の当選を果たしていたが、ドイツの度重なる挑発に対し、ついに参戦を決意し、国民は一丸となり正義と平和を求めた戦いに挑み、そして終戦を迎える。
そしてウィルソンは、国民や出生する若者達の前で約束した、真の平和を追求する、世界規模の”連盟”発足のために尽力して国際連盟”設立を果たす・・・。
__________

平和を唱えるウィルソンの視点からは反戦、世論に動かされたというよりも、正義のために苦渋の決断をした参戦後の描写は、公開が第二次大戦下ということもあり、戦意高揚のプロパガンダにも捉えられる作品。

温厚な学者タイプのウィルソンの高潔さや、人間的な逞しさを、やや大げさとも思えるほどに力強く描いたヘンリー・キングだはあるが、ノーベル平和賞の受賞等にも一切触れず、ウィルソンの理想主義が叶わないままに政界を去っていく、敗北感も漂うラストなどを象徴的に描き、より平和へのメッセージ性を高めているとも言える。

第17回アカデミー賞では 作品賞以下10部門にノミネートされ、脚本、撮影(カラー)、編集、録音、美術賞(カラー)を受賞した。
・ノミネート
作品、監督
主演男優(アレクサンダー・ノックス
特殊効果、音楽賞(ドラマ・コメディ)

戦時中の公開は無理にしても、日本では、テレビ放映他、ビデオ、DVD化さえもされていないのは信じ難い。

総天然色カラーの美しさ、ホワイトハウスをはじめ、議会や民主党全国大会会場などの、ハイレベルなセットや雰囲気も見事で、アルフレッド・ニューマンの重々しい音楽も素晴らしい。

度々登場するウィルソンの署名なども、本物と見間違う出来で、細かい演出もなされ、その後の大統領権限継承順位を決定する上での条例”憲法修正第25条”制定につながるエピソードなども実に興味深い。

後年も、大統領、大使、将軍など、威厳や品格のある役柄が似合った主演のアレクサンダー・ノックスは、信念を貫く主人公W・ウィルソンを、一世一代の熱演で見事に演じ切っている。

彼を支えるアドバイザー的な存在の学者チャールズ・コバーン、2番目の夫人イーディスジェラルディン・フィッツジェラルド大統領首席補佐官タマルティトーマス・ミッチェル、対立議員ロッジセドリック・ハードウィック財務長官でまだ細身でない若きヴィンセント・プライス、主人公の娘達メアリー・アンダーソン(エレノア)、ルース・フォード(マーガレット)、マデリン・フォーブス(ジェシー)、死別する妻エレンルース・ネルソン、主治医グレイソンスタンリー・リッジス、主人公を政治利用しようとする上院議員サーストン・ホール、そしてボードビリアンのエディ・フォイJr.が父親のエディ・フォイを演じている。

いつもは存在感のある名脇役、トーマス・ミッチェルチャールズ・コバーンなどの印象が薄いのが、やや気になった。


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