1960年に発表された、ニコス・カザンザキスの小説”The Last Temptation of Christ”を基に製作された作品。 神の使者としての使命と人間としての欲望の狭間で苦悩するイエス・キリストを描く、監督マーティン・スコセッシ、主演ウィレム・デフォー、ハーヴェイ・カイテル、バーバラ・ハーシー他共演のドラマ。 |
・ドラマ
■ スタッフ キャスト ■
監督:マーティン・スコセッシ
製作:バーバラ・デ・フィーナ
製作総指揮:ハリー・ウフランド
原作:ニコス・カザンザキス”The Last Temptation of Christ”
脚本:ポール・シュレイダー
撮影:ミヒャエル・バルハウス
編集:セルマ・スクーンメイカー
音楽:ピーター・ガブリエル
出演
イエス・キリスト:ウィレム・デフォー
ユダ:ハーヴェイ・カイテル
マグダラのマリア:バーバラ・ハーシー
聖母マリア:ベルナ・ブルーム
ピラト総督:デヴィッド・ボウイ
洗礼者ヨハネ:アンドレ・グレゴリー
ペテロ:ヴィクター・アルゴ
サウロ/パウロ:ハリー・ディーン・スタントン
使徒ヨハネ:マイケル・ビーン
ヤコブ:ジョン・ルーリー
アンデレ:ゲーリー・バサラバ
ラザロ:トーマス・アラナ
ゼベダイ:アーヴィン・カーシュナー
アメリカ 映画
配給 ユニバーサル・ピクチャーズ
1988年製作 162分
公開
北米:1988年8月12日
日本:1989年1月28日
製作費 $7,000,000
北米興行収入 $8,373,590
■ アカデミー賞 ■
第61回アカデミー賞
・ノミネート
監督賞
*詳細な内容、結末が記載されています。
■ ストーリー ■
ローマ帝国占領下のナザレ。
大工のイエス(ウィレム・デフォー)は、神の啓示を待つ日々を送り、肉体及び精神的な苦痛に耐えていた。
友人であるユダ(ハーヴェイ・カイテル)は、悩みながら十字架を作り続け、罪を償うと言ってそれを止めようとしないイエスを理解できない。
ユダはローマの圧政に対して闘おうとするが、イエスはそれに逆らうことなく、罪人とみなされ磔刑となる者のために十字架を背負い運ぶ。
神に憎まれたいと思いながら十字架を作るイエスは苦痛に耐え、その苦しみを理解できない母マリア(ベルナ・ブルーム)は、旅立つ息子を見守るしかなかった。
ある男が自分を導いていると感じつつついて行ったイエスは、かつて愛したマグダラのマリア(バーバラ・ハーシー)が男と交わっている姿を見つめる。 その場にいた全ての男の相手をしたマリアは、現れたイエスが許しを請う姿を哀れんで憎み誘惑する。 それを拒んだイエスは、砂漠に向かおうとしてマリアに引き止められるものの旅立つ。 その夜、ある村落に着いたイエスは、迎えてくれた老人から、誰なのかは知っていると言われて寝床提供される。 翌朝、亡くなった老人が、昨夜、息を引き取っていたことを知ったイエスは、彼の埋葬に立ち会う。 神の声を聞くために祈りを捧げている青年と話したイエスは、自分が神に導かれていると言われてるものの、それを否定する。 寝床で蛇を見たイエスは、それが消えたことで神に祝福されて清められたため、故郷に戻り人々に心の中を語るようにと青年に言われる。 その後、現れたユダに殺すと言われたイエスは、神の祝福を受けて清められたことを話し、自分を殺すようにと伝える。 イエスの喉に刃物を突きつけるものの思い止まったユダは、全てに憐れみを感じると言われ、イエスが死も恐れていないことを知る。 人々に神の声で話すと言うイエスは、使命は刺客ではなく、自分に従うことかもしれないとユダに伝える。 納得したユダは、理解できるまで行動を共にすることをイエスに伝え、少しでも道を外れたら殺すと付け加える。 淫婦として折檻され石打ちされるマリアを助けたイエスは、彼女が掟を破ったと言う人々に、同じ過ちを犯していない者がいるのかを問う。 やましいことはないと言うゼベダイ(アーヴィン・カーシュナー)が、尚も石を投げようとするため、神は見ていると伝えたイエスは彼の罪を語る。 ゼベダイは石を捨て、イエスはマリアを抱き寄せながらその場を去る。 自分に従ってきた者達を呼び寄せたイエスは、皆に愛の心を語る。 それを理解できない者、間違って解釈した者達はその場を去るが、ゼベダイの息子ヨハネ(マイケル・ビーン)やマリアは、イエスと共に行動しようとする。 イエスは、この場に残り自分の話をするようにとマリアに指示する。 ユダらと共に旅立ったイエスの一向には、ペテロ(ヴィクター・アルゴ)やヤコブ(ジョン・ルーリー)も加わる。 この旅を疑問に思うユダは、魂から変えることが大切だと言う、愛を語るイエスの考えが理解できない。 高僧からの使命を受けた刺客であるユダは、なぜ自分を殺さないのかをイエスから問われ、国を統一する救世主であるかもしれないからだと答える。 それを否定するイエスは、洗礼者ヨハネ(アンドレ・グレゴリー)の元に向かうことをユダに提案される。 人々に語りかけるヨハネに歩み寄ったイエスは、彼から洗礼を受ける。 愛が全てではないと語るヨハネから、神の声を聞くために砂漠に行くようにと指示されたイエスは、イドゥミアに向かうことを伝える。 単独でその場に向ったイエスは、様々な誘惑を退けながら10日が過ぎ、権力欲も克服し、神であることを自覚させられる。 その場を離れベタニアの村落にたどり着いたイエスは、マルタとマリアの姉妹に歓迎され休息と食べ物を与えられ、二人を祝福する。 マリアに様々なことを聞かれたイエスは、ヨハネが領主ヘロデに殺されたことを知る。 イエスが姿を消して1か月が経ち、従う者達はガリラヤに帰ることなどを話し合うが、ユダは、この場で待つと言って皆を説得する。 その場に現れたイエスは、ヨハネの水とは違い、自分は火で洗礼すると弟子達に伝え、悪との闘いに誘っていることを理解させる。 その後、悪魔との闘いを始めたイエスは、盲目の男の視力を回復する奇跡を起こす。 マリアの元に戻ったイエスは、人々に語りかけてエルサレムに導こうとするものの、誰も彼の言葉を信じない。 イエスを家に連れ戻そうとした母マリアだったが、彼は父は天に向い母はいないと答える。 その後、イエスは奇跡を起こし、三日前に亡くなったマルタとマリアの弟ラザロ(トーマス・アラナ)を生き返らせる。 エルサレム。 自分が神だと語るイエスは、ラビから神への冒涜だと言われたため、三日以内にこの寺院が破壊されると予言する。 弟子達は危険を察してその場を去ろうとするが、民はイエスの力を利用しようとする。 その場に現れたサウロ(ハリー・ディーン・スタントン)はユダを呼び止め、イエスを殺すはずだったことを伝える。 イエスのことを理解していないとサウロに伝えたユダは、その場を去る。 サウロがラザロを殺したことを知ったユダは、奇跡の証拠を消したとイエスに伝える。 イザヤが目の前に現れたと語るイエスは、自分が犠牲となり、直に死ぬ運命であることを知ったとユダに伝える。 救世主は死なないと言うユダは、毎日のように違うことを話すイエスを批判する。 常に何かの声を聴き付きまとわれていたと言うイエスは、自ら十字架を運び磔られて死ぬことをユダに伝える。 死後は生者と死者を裁きに戻ると話すイエスは、それを信じるようにとユダに伝え、彼らを従えて寺院に向かう。 エルサレムの民に歓迎されたイエスは、商人の屋台を壊し、すべての者達に洗礼を施すと伝える。 現れた兵士達の前で言葉と力を失い、ユダに寄り添われてその場を離れたイエスは、死が近いことを伝える。 そうはさせないと言うユダに、自分が罪を償う生贄であり、それに導く役目を果たすようイエスは指示する。 それを拒むユダに、道を外れた自分を殺すと約束したはずだとイエスは伝える。 兵士に自分の居場所を知らせるようユダに指示したイエスは、死の後に甦る言って迷う彼を説得し、苦しみを癒そうとする。 その夜の晩餐の場でイエスは、パンは自分の体でありワインは血だと言って使徒達にそれを分け与える。 使徒達に考えを語ったイエスは、その後、死を選べという神の指示に従い、兵士を伴い戻ったユダに身を委ねる。 ローマのユダヤ属州総督ピラト(デヴィッド・ボウイ)の元に連行されたイエスは、愛がこの世の中を変えると語る。 それをローマが望んでいないことをイエスに伝えたピラトは、処刑場となるゴルゴダの丘に向かっても、考えは変わらないだろうと語りその場を去る。 兵士に痛めつけられ鞭打たれたイエスは、イバラの冠を被せられ、民衆のさらし者となる。 ペテロらは、イエスの弟子であることを否定してその場から逃れる。 十字架を背負わされたイエスはゴルゴダの丘に向い、母マリアやマグダラのマリアの前で磔にされる。 突然、苦痛が消えたイエスは、現れた天使から、神に試され、十分に耐えたことで全てが終わったと言われる。 十字架から解放されたイエスは、生贄でも救世主でもないと天使に言われ、弟子達が逃げたことを知らされる。 天使に導かれた地でマリアと再会したイエスは、彼女に癒されて愛し合う。 その後、神により天に召されたマリアの死を悲しむイエスは、彼女が幸せに満ちて亡くなり、永遠の命を得たと天使に言われる。 神を信じるようにと天使に言われたイエスは、ラザロの妹マリアが慕うべき女性であると知らされる。 マリアの胎内には自分の子供が宿っていると言われたイエスは、天使と共に姉妹の元に向かう。 天使と共にマルタとマリアに歓迎されたイエスは、穏やかな生活を始め、その後、何人もの子供を授かる。 ある日イエスは、人々に自分の話を語る、洗礼を受けてパウロとなったサウロの話を聞く。 それが嘘だと反論するイエスだったが、人々がすがる希望は自分だけだとパウロに言われ、真実を皆に話すと伝える。 人々は神を求め、それで幸せを得られると信じていと語るパウロは、自分の考えるイエスは偉大な人だと言って彼を見限りその場を去る。 家族の元に戻ったイエスは、いつまでも一緒であり幸せだと伝える。 時は流れ、エルサレムが滅び、年老いたイエスが死を迎えようとしていた。 神に導かれたかつての弟子ペテロらが現れ、予言通りエルサレムの寺院は破壊されたことをイエスは知らされる。 ユダも姿を現し、いるべき場所である十字架から逃げ出し普通の生活で身を隠したイエスを、裏切り者であり卑怯者だと言って痛烈に批判する。 女や子供と共に現実の世界に生きるイエスの姿を見て涙するユダは、新秩序となるべき者が国を滅ぼしたと言って嘆く。 理解していないと言うイエスは、神が自分を救うための手段として天使が現れたとユダに伝える。 天使を指差しそれが悪魔だと言うユダは、人間として死のうとする、神に逆らったイエスを再び非難する。 建物から這い出したイエスは、神に呼びかけて謝罪し、息子として迎えてほしいと伝える。 イエスは、喜んで十字架の磔に戻り甦ることを約束する。
...全てを見る(結末あり)
神前で商売をする強欲な商人に対し怒りを露わにしたイエスは、ラビ達にその言動を尊大だと指摘される。
*(簡略ストー リー)
ローマ帝国占領下のナザレ。
大工のイエスは、神の啓示を待つ日々を送り、肉体及び精神的な苦痛に耐えていた。
旅に出たイエスは、神に祝福され清められたことを実感するが、高僧の刺客として現れたユダに殺されそうになる。
神に祝福されたイエスが死も恐れないことを知ったユダは、それを理解するまで行動を共にすることを伝える。
ユダやペテロ、そしてマグダラのマリアなど従う者と共にエルサレムに向かったイエスは、自分が神であることを民衆の前で語り、高僧に神への冒涜だと言われる。
そしてイエスは、自分が罪を償う生贄であり、それに導く役目を果たすようにとユダに指示するのだが・・・。
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イエス・キリストを苦悩する一人の人間として、そして、イエスを裏切ったとされているユダの行動を、彼に従った使命として描いた作品。
十字架の磔の苦痛から解放され、マグダラのマリアとの人間としての人生を全うするという誘惑がイエスにはあったという解釈を基にした作品。
マーティン・スコセッシが入念な調査を行い描いた内容は物議を醸し、関係団体からの抗議や上映反対の騒ぎにまでなった問題作。
そのため、全米拡大公開されることなく、興行的には成功しなかった。
解釈の問題はさて置き、人間ドラマとしてのマーティン・スコセッシの演出の力量は高く評価され、第61回アカデミー賞では、監督賞にノミネートされた。
主演のウィレム・デフォーは、神の使者としての自分と人間の欲望との狭間で苦しむイエス・キリストを熱演しているが、ドラマの重要人物で、イエスの考えに従う者であり、裏切り者としては描かれていないユダのハーヴェイ・カイテルが、重厚な演技を見せるものの、ややミスキャスト気味だったようにも思える。
演技派ハーヴェイ・カイテルには珍しく、彼はラジー賞にノミネートされてしまった。
マグダラのマリアのバーバラ・ハーシー、聖母マリアのベルナ・ブルーム、ピラト総督のデヴィッド・ボウイ、洗礼者ヨハネのアンドレ・グレゴリー、使徒ペテロのヴィクター・アルゴ、サウロ/パウロのハリー・ディーン・スタントン、使徒ヨハネのマイケル・ビーン、使徒ヤコブのジョン・ルーリー、使徒アンデレのゲーリー・バサラバ、ラザロのトーマス・アラナ、ゼベダイのアーヴィン・カーシュナーなどが共演している。