そのタフな戦いぶりから”ブロンクスのレイジング・ブル/怒れる牡牛”と異名を誇った元世界ミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタの自伝”Raging Bull: My Story”を基に彼の波乱の人生を描く、製作ロバート・チャートフ、アーウィン・ウィンクラー、監督マーティン・スコセッシ、主演ロバート・デ・ニーロ、キャシー・モリアーティ、ジョー・ペシ他共演のヒューマン・ドラマ。 |
■ スタッフ キャスト ■
監督:マーティン・スコセッシ
製作
ロバート・チャートフ
アーウィン・ウィンクラー
原作:ジェイク・ラモッタ”Raging Bull: My Story”
脚本
ポール・シュレイダー
マーディク・マーティン
撮影:マイケル・チャップマン
編集:セルマ・スクーンメイカー
音楽:ピエトロ・マスカーニ
出演
ロバート・デ・ニーロ:ジェイク・ラモッタ
キャシー・モリアーティ:ヴィッキー・ラモッタ
ジョー・ペシ:ジョーイ・ラモッタ
フランク・ヴィンセント:サルヴィ”バッツ”
ニコラス・コラサント:トミー・コモ
テレサ・サルダナ:レノラ・ラモッタ
ジョン・タトゥーロ:ダンス・パーティー会場の男
マーティン・スコセッシ:バルビゾン・プラザ・ホテルの舞台係
アメリカ 映画
配給ユナイテッド・アーティスツ
1980年製作 129分
公開
北米:1980年11月14日
日本:1981年2月7日
製作費 $18,000,000
北米興行収入 $23,334,953
■ アカデミー賞 ■
第53回アカデミー賞
・受賞
主演男優(ロバート・デ・ニーロ)
編集賞
・ノミネート
作品・監督
助演男優(ジョー・ペシ)
助演女優(キャシー・モリアーティ)
撮影・録音賞
*詳細な内容、結末が記載されています。
■ ストーリー ■
1964年、ニューヨーク、バルビゾン・プラザ・ホテル。
元ボクシング世界ミドル級チャンピオンで、”ブロンクスのレイジング・ブル/怒れる牡牛”の異名を誇ったイタリア系アメリカ人のジェイク・ラモッタ(ロバート・デ・ニーロ)が、ナイトクラブのショーを前にして楽屋で、お決まりの芸のリハーサルをしていた・・・。
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1941年クリーブランド。
セコンドの弟ジョーイ(ジョー・ペシ)の指示を受けて、最終ラウンドで相手を3度ダウンさせて試合を終えたジェイクだったが、判定で敗れてしまう。
ジェイクとジョーイ、そして観客は納得することができずに、会場は大混乱となる。
ニューヨークのブロンクスに戻ったジョーイは、街を牛耳るマフィアのトミー・コモ(ニコラス・コラサント)の手下サルヴィ”バッツ”(フランク・ヴィンセント)から、ボスと組むことを提案される。 ジェイクを説得するようにとサルヴィから言われたジョーイは、試合に負けて妻や近所の住民に八つ当たりするジェイクをなだめる。 翌日、ジョーイがジムにサルヴィらを呼んだことを、ジェイクはよく思わない。 トミーは自分を利用したいだけだと言うジェイクは、二度と彼らを呼ぶなとジョーイに伝える。 ある日ジェイクは、プールで見かけたブロンドの美少女ヴィッキー(キャシー・モリアーティ)に一目惚れしてしまう。 ジョーイと共にダンス・パーティー会場に向かったジェイクは、サルヴィと共に席を外したヴィッキーを追うものの、声をかけることはできなかった。 ヴィッキーを誘ったジェイクは、ドライブをして楽しい時間を過ごし、父親の家に向かい愛し合う。 1943年2月6日、デトロイト。 その後、連勝を続けるジェイクは、ヴィッキー(当時16歳)と結婚して子供も生まれるが、減量に苦しみ、彼女に八つ当たりする。 更には、若いヴィッキーが浮気をしないか気になり、ジェイクはジョーイに相談する。 そんな時ジェイクは、高級ナイトクラブ”コパカパーナ”で、現れたサルヴィから声をかけられ、その場にいるトミーに会うよう促される。 ヴィッキーがトミーに挨拶する姿を気にするジェイクは、席に戻った彼女に不満そうに話をする。 ジョーイがトミーに挨拶しに行ったため、呼ばれたジェイクは仕方なくテーブルに向かう。 次の試合で自分に賭けるとトミーから言われたジェイクは、全財産賭けてもいいと言って自信を示す。 1947年、ニューヨーク。 その後、減量やトレーニングでジェイクに相手にされないヴィッキーは、サルヴィらとコパカパーナに向かう。 その場にいたジョーイはヴィッキーと口論になり、彼女を帰宅させる。 サルヴィと喧嘩になったジョーイは、彼を叩きのめして騒動になるが、トミーに呼び出された二人は和解する。 自分の縄張りで勝手に動き回るジェイクが気になるトミーは、彼をチャンピオンにしたければ義理を果たすようにと伝えて、ジョーイに八百長を強要する。 1947年、マディソン・スクエア・ガーデン。 1949年6月15日、デトロイト。 減量の辛さと試合前の緊張で苦しむジェイクは、顔を見せに来たトミーと親しくするヴィッキーの態度に憤慨する。 1949年6月16日、世界タイトルマッチ。 試合は10ラウンドTKOでジェイクが勝利し、彼はついに世界タイトルを獲得する。 1950年、ブロンクス。 コパカパーナでのサルヴィとの揉め事をしつこく訊かれ、自分とヴィッキーのことまで疑われたジョーイは、ジェイクを見限ってしまう。 ジョーイとのことをヴィッキーに問い詰めたジェイクは、街中の男と寝たと彼女から言われて憤慨する。 ジョーイの家に向かい、彼に襲いかかり叩きのめしたジェイクは、止めようとしたヴィッキーも殴り倒してその場を去る。 1950年9月13日、デトロイト。 ヴィッキーがジョーイに電話をして受話器を取ったジェイクだったが、サルヴィのいたずら電話だと思われたために切ってしまう。 1951年2月14日、シカゴ。 1956年、マイアミ。 連日クラブに顔を出して豪遊するジェイクに愛想を尽かしたヴィッキーは、離婚を決意して彼にそれを伝える。 その後、14才の少女をクラブで働かせていたジェイクは逮捕されてしまう。 保釈されたジェイクは、ヴィッキーに取られた家に向かい、チャンピオン・ベルトの宝石を持ち出し、それを売って裏金を作り起訴を免れようとする。 1957年、フロリダ州、マイアミ・デイド郡。 1958年。 ある日、街角でジョーイを見かけて声をかけたジェイクは、自分を許してくれていない彼から冷たくされるが、数日後に電話をすると言われる。 1964年、バルビゾン・プラザ・ホテル。 ”俺はボスだ”と自分に言い聞かせながらシャドーボクシングをするジェイクは、かつての”レイジング・ブル/怒れる牡牛”を思わせる姿だった。
...全てを見る(結末あり)
数日後ジェイクは、ヴィッキーとデートしたことがあるジョーイから、彼女を紹介される。
シュガー・レイ・ロビンソンを判定で下したジェイクだったが、わずか3週間後の再戦で判定負けしてしまう。
ジェイクは、圧倒的な強さでトニー・ジェニロを倒す。
ビリー・フォックスとの試合にわざと試合に負けたジェイクは、八百長をしたことを後悔し、ボクシング委員会は彼を出場停止処分にする。
そして、処分が解けたジェイクは、世界ミドル級チャンピオンのマルセル・セルダンとの試合に挑むことになる。
前評判通りの大激戦となるが、セルダンが肩を脱臼してしまう。
チャンピオンになった直後からジェイクは、ヴィッキーやジョーイへの嫉妬心と不摂生で生活が乱れる。
ローレン・ドーティーユに逆転勝ちしてなんとか初防衛に成功したジェイクは、ヴィッキーからジョーイに謝罪するようにと言われる。
シュガー・レイ・ロビンソンとの6度目の対戦をしたジェイクは、激しい戦いの末に13ラウンドに連打され、TKOで敗れてタイトルを奪われる。
引退して見る影もなく太ってしまったジェイクは、フロリダでナイトクラブを経営していた。
ベルトから宝石を外してしまったために価値がなくなり、結局は金を工面できなかったジェイクは収監されてしまう。
ニューヨークに戻ったジェイクは、しがない酒場で芸人としてステージに立っていた。
楽屋の鏡に向かうジェイクは、映画”波止場”のマーロン・ブランドのセリフを繰り返し、ステージに向かおうとする。
*(簡略ストー リー)
1941年。
ボクサーのジェイク・ラモッタは、弟ジョーイをセコンドにして試合を続けていた。
そんなジェイクは、ブロンド美少女ヴィッキーに一目惚れしてしまい、やがて二人は愛し合うようになる。
1943年、シュガー・レイ・ロビンソンを判定で下したジェイクだったが、わずか3週間後の再戦で判定負けしてしまう。
その後、連勝を続けたジェイクはヴィッキーと結婚するものの、減量やトレーニングで苦しみ、さらに若い妻の浮気を心配する。
そんなジェイクに、街を牛耳るマフィアのトミー・コモと手下サルヴィが近づく。
その後トミーは、自分の縄張りで勝手なマネをするジェイクが気に障り、自分に義理を果たすようにと伝えて八百長を強要する。
1947年、仕方なくそれに従ったジェイクは、試合後にそれを後悔するものの、出場停止処分を受けてしまう・・・。
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公開当時は賛否両論で、若手の実力派俳優として、着実にキャリアを築き始めていたロバート・デ・ニーロとマーティン・スコセッシのコンビにも拘らず、受け入れられなかった。
しかし、その後に評価が上がり、1980年代を代表する作品と言われるまでになった。
1990年、アメリカ議会図書館が、国立フィルム登録簿に登録した作品でもある。
第53回アカデミー賞では、主演男優(ロバート・デ・ニーロ)と編集賞を受賞した。
・ノミネート
作品、監督、助演男優(ジョー・ペシ)、助演女優(キャシー・モリアーティ)、撮影、録音賞
「タクシードライバー」(1976)に続く、デ・ニーロとスコセッシの代表作であり、脚本も同じくポール・シュレイダー、製作は「ロッキー」(1976)などで知られるコンビ、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラー。
激しい映像とは対照的な、ピエトロ・マスカーニの優雅な音楽も印象に残る。
ボクサーとしての栄光よりも、主人公の人間性を生々しく描き、その後の長い人生を生き抜く逞しさの根底には、ファイターとしての意志が支えになっているという、マーティン・スコセッシの力強いメッセージが心を打つ。
傲慢で嫉妬深く乱暴な主人公を熱演したロバート・デ・ニーロは、見事にアカデミー主演賞を獲得し、ハリウッド屈指の演技派俳優として地位を築いた。
なんといっても、ボクサーとしての全盛期の鍛え上げた肉体と、引退後の30キロ近く太った姿は、役に成りきる彼の役者魂を感じる。
撮影当時まだ10代だったキャシー・モリアーティの、ほとんど笑みを浮かべない冷めた演技も印象的だ。
*ジェイク・ラモッタが少女のヴィッキーと出会い、そして結婚したのは彼女が16歳の時だった。
思慮深い一面も見せる主人公の弟ジョーイ・ラモッタを好演するジョー・ペシと共にアカデミー助演賞候補になったのは納得だ。
ジェイク・ラモッタに近付き八百長を強要するマフィアのボス、ニコラス・コラサント、その部下フランク・ヴィンセントと、ジョーイ・ラモッタの妻テレサ・サルダナ、ダンス会場で登場するジョン・タトゥーロ、そして、マーティン・スコセッシが、ラストのバルビゾン・プラザ・ホテルの楽屋の場面で一瞬、出演している。