第二次世界大戦下のヨーロッパ戦線でアメリカ陸軍史上最大の戦果をあげたジョージ・S・パットン将軍の北アフリカ戦線赴任から終戦までの活躍を描く、人間ドラマ及び戦争スペクタクル超大作として映画史上に残る不朽の名作。 監督フランクリン・J・シャフナー、脚本フランシス・フォード・コッポラ、主演ジョージ・C・スコット、カール・マルデン他。 |
■ スタッフ キャスト ■
監督:フランクリン・J・シャフナー
制作:フランク・マッカーシー
原作
ラディスラス・ファラーゴ:Patton: Ordeal and Triumph
オマー・N・ブラッドリー:A Soldier’s Story
脚本
フランシス・フォード・コッポラ
エドマンド・H・ノース
撮影:フレッド・コーネカンプ
編集:ヒュー・S・フォウラー
美術・装置
ユリー・マックリアリー
ギル・パロンド
アントニオ・マテオス
ピエール=ルイ・セヴェネット
音楽 :ジェリー・ゴールドスミス
軍事アドヴァイザー:オマー・N・ブラッドリー
出演
ジョージ・S・パットン米陸軍大将:ジョージ・C・スコット
オマー・N・ブラッドリー米陸軍元帥:カール・マルデン
ウォルター・ベデル・スミス米陸軍大将:エワード・ビンズ
チャールズ・R・コッドマン米陸軍大佐:ポール・スティーヴンス
ルシアン・トラスコット米陸軍中将:ジョン・ドーセット
バーナード・モントゴメリー英陸軍元帥:マイケル・ベイツ
エルヴィン・ロンメル独陸軍元帥:カール・ミヒャエル・フォーグラー
アルフレート・ヨードル独陸軍上級大将:リヒャルト・ミュンヒ
オスカル・シュタイガー独陸軍大尉:ジークフリート・ラオヒ
ホバート・カーヴァー米陸軍准将:マイケル・ストロング
ヘンリー・ダヴェンポート米陸軍中佐:フランク・ラティモア
ハロルド・アレキサンダー英陸軍元帥:ジャック・グウィリム
アーサー・カニンガム英空軍元帥:ジョン・バリー
アーサー・テッダー英空軍大将:ジェラルド・フルード
チェスター・ハンセン米陸軍大尉:スティーヴン・ヤング
リチャード・N・ジェンソン大尉:モーガン・ポール
チャールズ・クール伍長:ティム・コンサイディン
*階級は退役時
アメリカ 映画
配給 20世紀フォックス
1970年製作 169分
公開
北米:1970年2月4日
日本:1970年6月27日
製作費 12,000,000
北米興行収入 $61,749,765
■ アカデミー賞 ■
第43回アカデミー賞
・受賞
作品・監督
主演男優(ジョージ・C・スコット/受賞拒否)
脚本・音響・美術・編集賞
・ノミネート
撮影・作曲・特殊視覚効果賞
*詳細な内容、結末が記載されています。
■ ストーリー ■
1943年2月、第二次世界大戦下の北アフリカ戦線。
チュニジアのカセリーヌ峠の戦いで、フレデンドール少将指揮下のアメリカ第2軍は、エルヴィン・ロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団に大敗を喫した。
新たに第2軍に赴任したオマー・N・ブラッドリー少将(カール・マルデン)は、士気の低下している軍団の立て直しを図る。
ブラッドリーは、既にトーチ作戦によりモロッコ入りしていた指揮官、希代の猛将として恐れられるジョージ・S・パットン少将(ジョージ・C・スコット)を呼び寄せる。
赴任後、中将に昇進したパットンは、ブラッドリーを副官に付け、徹底した兵士教育と乱れた軍規の改善を語る。 パットンは、兵士としての身なりや時間厳守を徹底させ、病を使う臆病者を病院から叩き出すよう命ずる。 そんな中、パットンは戦闘の匂いを嗅ぎ分け、古代の戦地であるカルタゴの遺跡を訪れ、自らもその戦いに参加したかのように、その様子を詩にする。 その頃、ロンメル(カール・ミヒャエル・フォーグラー)は、連合軍の反撃を警戒しつつ、ジフテリアの治療のためドイツに向かった。 敵よりも、自分を憎ませる程のパットンの厳しさにより、軍は生まれ変わり規律を取り戻す。 同じ頃、ドイツ参謀本部のヨードル大将(リヒャルト・ミュンヒ)は、パットンに関する調査を、オスカル・シュタイガー大尉(ジークフリート・ラオヒ)に任せロンメルに報告する。 そんな中、ロンメル軍の進軍の報告を受けたパットンは、エルゲタールでドイツ軍を迎え撃つ。 決死の決意でロンメルを打ち砕くべく、パットンは敵軍を見事に撃破する。 ドイツ軍は劣勢に回り撤退を始め、シュタイガーは、歴史家であるというパットンの分析結果から、彼が古代アテネ人に倣いシシリアを攻略すると、ヨードルに明言する。 アルジェリア、モスタガネム。 しかし、新任副官チャールズ・R・コッドマン大佐(ポール・スティーヴンス)が、作戦を立てたのはロンメルだと言ってパットンをなだめ、彼に気に入られる。 パットンは、連合軍のシシリア島侵攻作戦(ハスキー作戦)の主導権を執ることに専念した。 そしてパットンは、イギリス陸軍のハロルド・アレキサンダー大将(ジャック・グウィリム)らをうまく巻き込んだいく。 しかし、イギリス陸軍のバーナード・モントゴメリー大将(マイケル・ベイツ)は、連合軍指令本部のウォルター・ベデル・スミス少将(エワード・ビンズ)に自らの計画を進言し、パットンの案は結局、政治的策略で却下されてしまう。 モントゴメリーの援護で、第7軍を率いジェーラに上陸したパットンは、モントゴメリーの鼻を明かすために、パレルモに向けて北上する。 一気にメッシーナを目指したパットンは、指令本部の命令を無視して猛攻撃を開始する。 第2軍を指揮していたブラッドリーは、パットンの配下で厳しい戦いを強要され、彼が栄誉欲に走るのを懸念する。 パレルモを陥落させたパットンは、その後、モントゴメリーとのメッシーナ争奪戦で苦戦してしまう。 パットンは、ルシアン・トラスコット少将(ジョン・ドーセット)を呼び寄せ、檄を飛ばし攻撃を強行させる。 毎日を死と隣りあわせで生きている、兵士を気遣う中将になっていたブラッドリーは、自らの名誉のため、兵士の犠牲を省みないパットンに対し、”自分は任務だから戦うが、君は戦いを好んでいる”と皮肉を込めて忠告する。 激しい戦闘が続く中、パットンの、兵に対する厳しすぎる命令や、自己中心的で粗野な言動は、連合軍内で問題になり始めていた。 ある野戦病院で、パットンは、怖気づく兵士チャールズ・クール伍長(ティム・コンサイディン)を殴り激高してしまう。 伍長を射殺までしようとしたパットンは、自分の部隊に臆病者は要らないと怒鳴り散らし、興奮してその場を立ち去る。 その後、モントゴメリーの師団は意気揚々とメッシーナ入りする。 しかし、トラスコットらの戦果で、パットンはモントゴメリーを出し抜き、一歩早くメッシーナに到着していた。 その後パットンは、連合軍最高司令官アイゼンハワー大将から、殴った兵士及び、各方面に謝罪するよう勧告を受けてしまう。 パットンは、プライドを捨てて、仕方なく兵士の前で謝罪する。 さらにパットンは第7軍の任を解かれるが、副官コッドマンは、ヨーロッパ侵攻作戦の司令官任命が理由だと、彼を励まし、二人は祝い酒を開ける。 喜びも束の間、ヨーロッパ侵攻作戦司令官はブラッドリーに決まり、パットンは戦地から離れ、コルシカ島やマルタなど各地の視察をする日々を送る。 ドイツ参謀本部のヨードルは、パットンの動きを追っていたが、シシリアからイタリア本土に上陸した連合軍の攻勢に遭い、ドイツ軍はイタリアを捨て、ヨーロッパ侵攻作戦に向けての防衛を始める。 ロンドンに赴任したパットンは、侵攻作戦に向けての実行計画を指令本部のスミス中将に進言しようとする。 しかし、スミスはパットンを厄介者扱いし、陽動作戦のために彼を呼び寄せたことを伝え、揉め事を起こさず大人しくしていることだけを望んだ。 ナッツフォード。 それがアメリカ国内で大問題になり、パットンの処遇はマーシャル参謀総長に委ねられる。 1944年6月6日。 侵攻後、ドイツ軍に前進を阻まれていたアメリカ軍司令官ブラッドリーは、事態を打開できるのはパットンしかいないという判断から、彼を呼び寄せて第3軍を任せる。 その頃、ドイツ側はノルマンディーは陽動作戦で、パットンが、カレーに上陸して進撃してくると思い込むヨードルと、ノルマンディーに師団を向かわせようとするロンメルとの意見が食い違う。 戦場に戻ったパットンは、第3軍を率いて怒濤の進撃を始めドイツ軍を撃破していく。 しかしパットンは、再び政治の犠牲になり、進撃の速度をゆるめるようブラッドリーに指示される。 パットンの進軍の早さに燃料補給も間に合わず、燃料の切れた部隊は、ドイツ軍に迎え撃たれ激しい戦闘となる。 最後には白兵戦となった戦闘を征した部隊を、パットンは勇者と称え、自分が、命よりも戦場が好きなことを再確認する。 その後、連合軍はパリを解放し、モントゴメリーはベルギーに侵攻、パットンはドイツに迫っていた。 しかし、ドイツ軍がアルデンヌで反撃を始め、バストーニュに取り残されたアメリカ第101空挺師団救出に、パットンは48時間で到達できると断言して行軍を開始する。 戦闘の後、160キロも雪の中を行軍し、そして戦いに挑もうとする兵士達をパットンは誇りに思う。 そして天候が回復し、バストーニュを解放したパットンのカリスマ性と統率力ある勇ましさに、部下や兵士も次第に引かれていく。 先走り過ぎる感はあるものの、今回の戦績はアメリカ陸軍史上に残るものであった。 ヒトラーは自殺し、敗戦間近となったドイツ軍参謀本部では、シュタイガーが、”生粋の戦士、偉大なる時代遅れ”パットンの資料を処分する。 終戦を迎え、相変わらずソ連嫌いを公言する、大将に昇進したパットンは、ナチと共和・民主党員が同じようなものだとも発言してしまう。 再び政治力の無さを露呈し、今まで何度もパットンを擁護してきたアイゼンハワーもついに彼を見限り、第3軍を取り上げてしまう。 一方、イギリス陸軍のモントゴメリー元帥は次期参謀総長に決まり、国王ジョージ6世に謁見する。 共に大将に昇進していたブラッドリーは、第二次大戦でのパットンの功績を称える。 パットンは笑みを浮かべ頷くだけで、ブラッドリーと夕食の約束をして立ち去る。 古代ローマの軍人が凱旋した際、戦果をあげた征服者に、背後から奴隷がささやく言葉が、パットンの脳裏を過ぎる。 ”全ての栄光は消え去る・・・”
...全てを見る(結末あり)
(エルゲタールの戦い)
名誉に執着するパットンは、ロンメルがエルゲタールの指揮を執っていなかったことを知り、それを気にする。
パットンは、歓迎イベントの席上、世界を支配するのは英米だと言って、同盟国ソ連を無視する、過激な発言をしてしまう。
ノルマンディー上陸作戦は実行され、結局、パットンは囮作戦の幽霊師団を任されただけだった。
*(簡略ストー リー)
1943年。
北アフリカ戦線に赴任したジョージ・S・パットン少将は、ブラッドリー将軍を参謀にして、士気の低下した部隊を立て直し、ロンメル将軍指揮下のドイツアフリカ軍団を撃破する。
パットンは、連合軍のシシリア島侵攻作戦に参加するものの、政治的配慮を優先させる司令部の命令を無視し、名誉と戦果のために、多大な犠牲を払いながら拠点のメッシーナを落とす。
度重なる命令違反と兵士への暴力で、司令官を解任されたパットンは、ノルマンディー上陸作戦にも参加できずにいた。
しかし、盟友であり司令官になっていたブラッドリーに呼び寄せられたパットンは、破竹の猛進撃を開始して、連合軍を勝利へ導く原動力になる。
そして、終戦を迎え、命よりも好きな戦いの場がなくなったパットンは、再び外交的な失態で司令官を解任されてしまう・・・。
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ラディスラス・ファラーゴの”Patton: Ordeal and Triumph”とオマー・N・ブラッドリー”A Soldier’s Story”を基にした、フランシス・フォード・コッポラとエドマンド・H・ノースによる脚本で製作された作品。
第二次世界大戦下のヨーロッパ侵攻(ノルマンディー上陸作戦)以後、アメリカ陸軍・第3軍を率いて陸軍史上最大の戦果をあげた、ジョージ・S・パットン将軍の1946年の北アフリカ戦線赴任から、生涯を閉じることになる1945年の第二次大戦終結直後までを描く、人間ドラマそして戦争スペクタクル超大作にして映画史上に残る不朽の名作。
2003年、アメリカ議会図書館が、国立フィルム登録簿に登録した作品でもある。
第43回アカデミー賞では10部門でノミネートされ、作品賞をはじめ7部門で受賞した。
しかし、圧倒的な評価を受け主演賞を受賞したジョージ・C・スコットは受賞を拒否してしまう。
・受賞
作品・監督
主演男優(ジョージ・C・スコット/受賞拒否)
脚本・音響・美術・編集賞
・ノミネート
撮影・作曲・特殊視覚効果賞
また、1986年に、ジョージ・C・スコットが同じパットン役を演じ、彼が交通事故に遭い生涯を閉じるまでを描くテレビ・ドラマ”The Last Days of Patton”が製作された。
当時としては破格の製作費1200万ドル、北米興行収入も約6200万ドルの大ヒットとなった。
貴族の出身ながら粗野で暴力的、桁外れの勇気とタカ派のパットンを、歴史を愛するロマンチストとして描いた、単なる戦争映画でない人間ドラマの傑作でもある。
チュニジアに赴任して早々、カルタゴの遺跡で古代の戦闘に対しての詩を読むシーンなどはパットンの人間性を象徴している。
自身も第二次世界大戦に従軍した、監督のフランクリン・J・シャフナーの演出は、主人公を演じて、共にアカデミー賞を獲得したジョージ・C・スコット(受賞拒否))の完璧な演技を引き出し、人間パットンの特異な人物像を、その性格や、とてつもない行動力まで、余すとこなく見事に描き切っている。
弱冠30歳で書き上げた天才的とも言えるフランシス・フォード・コッポラの脚本は、戦争映画というより、クラシック音楽を聴いているような、重厚で流れるようなストーリー展開だ。(アカデミー脚本賞受賞)
ファンファーレなどを使った、ジェリー・ゴールドスミスの勇ましいの音楽も、物語をを大いに盛り上げる。
北アフリカのモロッコから始まる物語のロケは、その戦闘場面がスペインで行われ、チュニジアのエルゲタールの戦いの再現の迫力も、CGなどない時代、映画史上に残る物量作戦で撮影された。
実はパットンは、ジョージ・C・スコットのようなだみ声ではなく、容姿に似合わない甲高い声だったということだ。
育ちが良いはずなのに、歯並びが悪いところなども、細かいメイクで再現している。
ジョージ・C・スコットは、荒っぽい性格の割には、お洒落で人情味もありユーモアや茶目っ気なども兼ね備えるパットン像を見事に演じている。
本作の軍事アドバイザーも勤めたオマー・N・ブラッドリー将軍(退役時:陸軍元帥)役カール・マルデンも、司令官の中で数少ないパットンの理解者を好演している。
パットンの扱いを心得ている副官のコッドマン大佐のポール・スティーヴンス、パットンに手を焼く参謀本部高官ウォルター・ベデル・スミス将軍役のエワード・ビンズ、シシリアでパットンに無謀な攻撃を命ぜられる部下ルシアン・トラスコット将軍役のジョン・ドーセット、パットンの”宿敵”バーナード・モントゴメリー将軍役のマイケル・ベイツ、ハロルド・アレキサンダー将軍役ジャック・グウィリム、ドイツ軍、エルヴィン・ロンメル元帥カール・ミヒャエル・フォーグラー、アルフレート・ヨードル将軍リヒャルト・ミュンヒ、そして、パットンの研究調査を命ぜられる若き将校ジークフリート・ラオヒなどが共演している。
*ジークフリート・ラオヒは、「栄光のル・マン」(1971)でスティーブ・マックイーンのライバルドライバー役を演じている。
ラストで、荷車に轢かれそうになブラッドリーと夕食の約束をしたパットンが、愛犬ウィリーと去っていく後姿は、その後、交通事故に遭い1945年12月に他界する彼の死を暗示している。
同じくラストの、
”古代ローマの征服者は、華やかな凱旋のパレードで誇らしさの絶頂に達している時に、後に従う奴隷に囁かれる。
「全ての栄光は、いずれ消え去る・・・」 ” というナレーションが、パットンの歴史を愛し、武勲に執着した生涯を象徴している。
冒頭の兵士を前にしたパットンのスピーチは、ノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)前に行われたものを基にしていると言われるが、映画では既に大将(四つ星)に昇進している。
しかし、実際は1945年4月14日にパットンは大将に昇進しているので、これは彼の功績に対する賛辞を込めたものだ。
パットンが受けた殊勲十字章、名誉負傷勲章、バス勲章、大英帝国勲章他、多数の勲章と共に”四つ星”を映し出して、彼へのオマージュと一族への敬意を込めたシーンとなっている。
パットンは、アメリカでは英雄か野蛮人かで意見が分かれ、その性格から、荒っぽい主人公が登場する映画に、名前や写真が登場することが多い。
例えば、
「ケープ・フィアー」(1991)では、ロバート・デ・ニーロ扮する婦女暴行犯が出所する際、監房の壁にパットンの勇ましい軍服姿の写真が貼られている。
異常者の主人公が、パットンを崇拝しているのが分かる。
また、「小さな恋のメロディ」(1971)で、ロンドン市内で上映されいる映画「パットン」の看板が映し出されるのも思い出す。
自分自身、20年ほど前に、毎晩、ビデオで本作を観ないと眠れなかったほど思い入れがある。
この映画史上に残る傑作に、「大戦車軍団」なる幼稚なタイトルを付けられる無神経さには呆れてしまう。
製作関係者に対して失礼だ。
私のサイト及び映画紹介では、当然”パットン”としか明記しないことに決めている。