インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーの半生を描く、製作、監督リチャード・アッテンボロー、主演ベン・キングズレー、ロシャム・セス、キャンディス・バーゲン、ジョン・ギールグッド、マーティン・シーン他共演の伝記映画。 |
■ スタッフ キャスト ■
監督:リチャード・アッテンボロー
製作:リチャード・アッテンボロー
製作総指揮:マイケル・スタンレー=エヴァンス
脚本:ジョン・ブライリー
撮影
ビリー・ウィリアムズ
ロニー・テイラー
編集:ジョン・ブルーム
美術
スチュアート・クレイグ
ロバート・W・レン
マイケル・シアトン
衣装デザイン
ジョン・モロ
バヌ・アサイヤ
音楽:ラヴィ・シャンカール
音楽/編曲:ジョージ・フェントン
出演
マハトマ・ガンジー:ベン・キングズレー
ジャワハルラール・ネルー:ロシャム・セス
カストルバ・ガンジー:ロヒニ・ハタンガディ
サダール・ヴァラバハイ・パテル:サイード・ジェフリー
ムハマンド・アリ・ジンナー:アッリク・パダムシー
マーガレット・バーク=ホワイト:キャンディス・バーゲン
エドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド/アーウィン卿:ジョン・ギールグッド
ヴィンス・ウォーカー:マーティン・シーン
チャールズ・フリーア・アンドリューズ牧師:イアン・チャールソン
ヤン・スマッツ将軍:アソール・フューガード
ミラベン(マデリン・スレイド):ジェラルディン・ジェームズ
レジナルド・ダイヤー将軍:エドワード・フォックス
R・S・ブルームフィールド判事:トレヴァー・ハワード
チェルムスフォード総督:ジョン・ミルズ
ジョージ・ホッジ卿:マイケル・ホーダーン
フィールズ:イアン・バネン
コリン:ダニエル・デイ=ルイス
ナトゥラム・ゴードセー:ハーシュ・ナヤー
イギリス/インド 映画
配給 コロンビア・ピクチャーズ
1982年製作 188分
公開
イギリス:1982年12月3日
インド:1982年11月30日
北米:1982年12月8日
日本:1983年4月
製作費 $22,000,000
北米興行収入 $52,767,890
■ アカデミー賞 ■
第55回アカデミー賞
・受賞
作品・監督
主演男優(ベン・キングズレー)
脚本・編集
撮影・美術・衣装デザイン賞
・ノミネート
作曲・録音・メイクアップ賞
*詳細な内容、結末が記載されています。
■ ストーリー ■
1948年1月30日。
全人類の良心とまで言われた、”インド独立の父”マハトマ・ガンジー(ベン・キングズレー)が、ヒンズー至上主義を掲げる、民族義勇団RSSのナトゥラム・ゴードセーによって暗殺される。
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1893年、南アフリカ。
インド人の青年弁護士モハンダス・ガンジーは、列車の一等車から放り出されてしまう。
ガンジーは、この人種差別に抗議し、移民を集め身分証明書を焼き捨ててしまい、警官に殴打されて逮捕される。
ロンドンの新聞は、この事件を問題視して大きく報道し、暴力を振るわれたガンジーは、高裁に訴え釈放される。 しかし、イギリス側のヤン・スマッツ将軍(アソール・フューガード)は身分証に関しての法律を変えてしまう。 イギリス人牧師のチャールズ・フリーア・アンドリューズ(イアン・チャールソン)と、ニューヨーク・タイムズの記者ヴィンス・ウォーカー(マーティン・シーン)は、生涯禁欲と非暴力の誓いを立て、アシュラム(修行道場)を建設したガンジーを支持する。 アシュラムでの生活に差別はなく、ガンジーは、労務を拒む妻カストルバ(ロヒニ・ハタンガディ)を追い出そうとしてしまう。 行過ぎた行動を謝罪したガンジーだったが、 カストルバは夫を理解し、他の者と同じ生活を始める。 その後、ガンジーはスマッツ将軍の法律を批判し、イギリス市民であることは認めながら、差別に対する運動を広げていく。 その後、逮捕され獄中にいたガンジーを、スマッツ将軍は呼び出し、法案の廃止を国会へ要求し、彼と囚人全員の釈放を伝える。 1915年、ボンベイ(現ムンバイ)。 ガンジーは、イギリスからの独立を願うインドを知るために、妻カストルバやアンドリューズ牧師らと共に、各地を視察して回る。 視察を終えたガンジーは、 イギリスの言論、思想、集会の抑圧に対し、政治指導者ムハマンド・ アリ・ジンナー(アッリク・パダムシー)、ジャワハルラール・ネルー(ロシャム・セス)、サダール・ヴァラバハイ・パテル(サイード・ジェフリー)らと協議を進める。 再び、弱者や貧しい者の視察の旅に出たガンジーは、 イギリスによる抑圧に苦しむ人々の現状を見て心を痛め、 その権利を守るために逮捕されたりもする。 民衆は暴動寸前で収まりがつかず、ガンジーは釈放されるものの、イギリス側内部でも、国民を苦しめる監督官達が彼を英雄にしたと、 責任を追及する声も出始める。 監督官でもあるジョージ・ホッジ卿(マイケル・ホーダーン)は、インド国民への妥協案を迫られる。 やがてガンジーは、新しい市民条例に抗議するため、祈りと断食をするよう国民に呼びかけることを考え、ネルーからは”マハトマ”(偉大な魂)と呼ばれる。 そして、それが実行され、国内がストップしてしまったことがチェルムスフォード総督(ジョン・ミルズ)に報告される。 ガンジーは再び逮捕されるが、ついに暴徒と化した民衆の動きを彼は不安視する。 イギリス軍のレジナルド・ダイヤー将軍(エドワード・フォックス)の部隊が、女性や子供を含めた、集会中の群衆に発砲してしまい、1516人を射殺する事件が起きる。 事態を重く見たチェルムスフォード総督は、ガンジーらを招き、市民条例を改める提案をする。 しかしガンジーは、 イギリス側が何らかのかたちでインドから手を引くべきだと主張する。 チェルムスフォード総督は、国内の宗教上の問題を上げ、国王の統治がインドには必要だと説く。 ガンジーは、10万のイギリス人に、3億5000万人のインド国民を支配することは不可能だと反論する。 インドは、”非暴力、非協力”で抵抗し、イギリスが最終的には必ずが出て行くことを確信していると、ガンジーは主張する。 その後、ガンジーの言葉を気にもしないイギリス側の高官らだったが、チェルムスフォード総督は、慎重に対処しようとする。 ガンジーは、回教徒とヒンズー教徒を団結させることを目標に掲げ、貧しさを招く象徴でもある、イギリス製の布地を買うことを止め、その衣服を焼くことなどで抵抗する。 その後、ガンジーの元に、彼がミラベンと呼ぶイギリスの提督の娘マデリン・スレイド(ジェラルディン・ジェームズ)が現れ、共同生活を始める。 ガンジーの思いとは裏腹に、回教徒とヒンズー教徒の対立が表面化し、インド国民の不満は暴力に変わり、警官を殺害する事件が起きる。 それを嘆くガンジーは、事件が一過性の偶発事故だと言って、国全体が動き出していることを重視する、ネルーやジンナーらの意見を退ける。 そしてガンジーは、妻カストルバや彼に仕えるミラベンらに支えられながら、断食による説得で事態を鎮静化させる。 しかし、イギリス側はガンジーを治安妨害で逮捕し、 判事のR・S・ブルームフィールド(トレヴァー・ハワード)は、非協力者扱いで彼に6年の刑を言い渡す。 数年後、ポーバンダー州。 何かが起きることを期待して現れたウォーカーは、ガンジーの次の行動を知ることになる。 ガンジーは、イギリスの独占する製塩事業に対抗し、インド人で製塩所を作る。 外務英連邦大臣のエドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド/アーウィン卿(ジョン・ギールグッド)は、その報告を受けて、先任将校フィールズ(イアン・バネン)に、ガンジー以外の関係者全員の逮捕を命じ、彼と対決することを決意する。 イギリス軍の強行手段により、ネルーやパテルも投獄され、人民側に暴力行為がなかったことを確認したアーウィン卿は、ついにガンジーの逮捕を命ずる。 ガンジーの教え通り、無抵抗抗議を続ける人々を、イギリス側は容赦なく痛めつけ、その悲惨な状況を見たウォーカーは、これがインド人の勝利だと記事にする。 1931年、ロンドン。 時は流れ、世界は第二次大戦に突入する時代となる。 戦争に反対するガンジーは、かつてのアガカーン宮殿に幽閉され、その姿を、”ライフ”の写真記者マーガレット・バーク=ホワイト(キャンディス・バーゲン)に取材される。 その後、心臓発作でカストルバが倒れ、ガンジーは最愛の妻に先立たれる。 独立間近となったインドだったが、回教徒とヒンズー教徒との対立が激化する。 1947年8月15日。 しかし、ガンジーの考えるヒンズー教徒と回教徒の融合は果たせず、ジンナーを総督に、回教徒の多いパキスタンを建国する分離独立だった。 その後も、インドとパキスタン国境付近などでは、両教徒の衝突が絶えず、ガンジーは、再び断食を決行して、民衆に歩み寄りを訴える。 ネルーやパテルの説得にも拘らず断食は続き、ガンジーの体力は限界に達するが、やがて彼は、両教徒に武器を捨てさせることに成功する。 1948年1月30日。
...全てを見る(結末あり)
帰国したガンジーは、国民から歓喜の声で迎えられる。
南アフリカでの協力者でもあった、ニューヨーク・タイムズの記者ウォーカーが、ガンジーの出身地でもあるこの地を訪れる。
釈放されたガンジーは、アーウィン卿らとの、インド独立についての円卓会議に出席するが、独立を果たすことは出来なかった。
イギリス国王を元首に英連邦王国としての独立を、インドの初代首相ネルーが宣言する。
断食を終えたばかりのガンジーは、 ヒンズー至上主義を掲げる、民族義勇団RSSのナトゥラム・ゴードセー(ハーシュ・ナヤー)によって暗殺される。
*(簡略ストー リー)
インド独立運動の指導者、マハトマ・ガンジーの半生を描いた伝記映画。
*(簡略ストーリー)
19世紀末。
インド人の青年弁護士モハンダス・ガンジーは、南アフリカでのイギリス人による差別に対し抗議運動を始める。
逮捕されたガンジーは、訴えを起こして釈放されるものの、イギリス側とのせめぎ合いは続く。
ガンジーは、禁欲と非暴力の誓いを立てアシュラム(修行道場)を建設し、その賛同者と共同生活を始め、運動をさらに広めていく。
故国インドに戻ったガンジーは、 民衆から歓喜の声で迎えられ、イギリスの支配に苦しむ国民の生活を視察して回る。
やがてガンジーは、政治指導者であるジンナーやパテル、そしてネルーらと協力し合い、インド独立の夢をかなえるための、運動を始めるのだが・・・。
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映画史上最大とまる30万人のエキストラを使った、暗殺されたガンジーの国葬のシーンで始まる冒頭から、そのスケール感に圧倒される。
その後は、青年弁護士時代から暗殺までの50年余りのガンジーの人生を描いた長編歴史ドラマ。
俳優として多くの名作に出演し、映画製作や監督にも進出していたリチャード・アッテンボローの、ライフワーク的意欲作でもある。
第55回アカデミー賞では11部門にノミネートされ、作品、監督、主演男優(ベン・キングズレー)、脚本、編集、撮影、美術、衣装デザイン賞を受賞した。
・ノミネート
作曲・録音・メイクアップ賞
映画初出演ながら、アカデミー主演賞を受賞したベン・キングズレーは、ガンジーの生涯を見事に演じ、歴史上の人物を描いた作品の中でもベストと言っていいほど、特殊メイクなどを使わずに本人に成りきった熱演を見せている。
イギリス人であるベン・キングズレーの主演起用には反発があったのだが、父親がインド人ということで受け入れられたという経緯がある。
また、ロケ地では、彼があまりにも本人に似ていたため、ガンジーが生き返ったと思い込んだ人々であふれ、ロケ現場では参拝者が後を絶たなかったという。
あまりに偉大な人物を描く壮大なストーリーは、3時間強の長編となった。
各歴史上の出来事を、小出しにかいつまんで登場させているようなところは気になるが、主人公ガンジーの成し遂げようとした偉業は、見事に描かれてよく伝わってくる。
ガンジーを取り巻く、多くの実在の人物や事件を今一度確認してみると、教科書などでは学ぶことのできない、歴史や宗教を理解するための参考資料としても価値ある作品だ。
美しいガンジス川をはじめ、広大なインド各地のロケも素晴しい。
献身的に夫に仕える、ガンジーの妻カストルバ役のロヒニ・ハタンガディ、独立運動の指導者達、初代インド首相ネルー役ロシャム・セス、パテルのサイード・ジェフリー、ジンナーのアッリク・パダムシー、写真記者M・B=ホワイトのキャンディス・バーゲン、アーウィン卿のジョン・ギールグッド、新聞記者ウォーカーのマーティン・シーン、アンドリューズ牧師のイアン・チャールソン、ミラベンのジェラルディン・ジェームズ、ダイヤー将軍のエドワード・フォックス、判事役のトレヴァー・ハワード、チェルムスフォード総督のジョン・ミルズ、監督官マイケル・ホーダーン、イギリス先任将校イアン・バネン、ガンジーの暗殺者ナトゥラム・ゴードセーのハーシュ・ナヤー、そして、無名時代のダニエル・デイ=ルイスが、南アフリカでガンジーをいびる役でわずかに登場する。