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映画の巨人 ジョン・フォード Directed By John Ford (2006)

ジョン・フォード”研究家として知られる映画監督のピーター・ボグダノヴィッチが1971年にリリースしたドキュメンタリー映画の再編集版。
出演ジョン・ウェインキャサリン・ヘプバーンジェームズ・スチュワートモーリン・オハラヘンリー・フォンダオーソン・ウェルズマーティン・スコセッシクリント・イーストウッドスティーヴン・スピルバーグ他。

解説


ドキュメンタリー

ジョン・フォード / John Ford 作品一覧
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クリント・イーストウッド / Clint Eastwood / Pinterest

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スタッフ キャスト ■
監督:ピーター・ボグダノヴィッチ

製作
ジェームズ・R・シルク
ジョージ・スティーヴンスJr.

脚本:ピーター・ボグダノヴィッチ
撮影:ラズロ・コヴァックス
編集:リチャード・パターソン

出演
ジョン・フォード
ジョン・ウェイン
ヘンリー・フォンダ
キャサリン・ヘプバーン(声のみ)
ジェームズ・スチュワート

ハリー・ケリーJr.
モーリン・オハラ
マーティン・スコセッシ
クリント・イーストウッド
スティーヴン・スピルバーグ
ウォルター・ヒル
ピーター・ボグダノヴィッチ
ナレーション:オーソン・ウェルズ

アメリカ 映画
配給
American Film Institute

California Arts Commission
Turner Classic Movies(2006)
2006年製作 110分(1971年版:99分)
公開
北米:1971年10月6日


解説 評価 感想 ■

捜索者」(1956)のオープニング・シーンから始まる。

ナレーター、オーソン・ウェルズ
崇拝していたフォードとのエピソードを、ボグダノヴィッチが語る。

そして、「アパッチ砦」(1948)と「リオ・グランデの砦」(1950)に登場する、冒頭のラッパ手のシーンをそのまま使い、本作の原題となる”Directed By John Ford”というタイトルが登場する。

オーソン・ウェルズが、135作品にも及ぶフォード作品の紹介を始める。(1970年収録のナレーション)

1969年に撮影されたベル・エアーフォードの自宅。

おそらく彼のヨット”アラナー”であろう、絵の前に飾られた6個のオスカー(監督賞4回、ドキュメンタリー賞2回)他、各賞の記念トロフィーが映し出される。
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本作は、当時の映像に加え、マーティン・スコセッシクリント・イーストウッドスティーヴン・スピルバーグウォルター・ヒルらが登場する。
...全てを見る(結末あり)

当然のごとく、彼らはフォードを賞賛し称える言葉を続けるのだが、その眼差しや言動に、行過ぎたものを感じさせない、偉人に対する真の尊敬の念が感じられる。

彼らの、フォードへの想いを語る姿は実に新鮮ではあるが、やはり、フォード縁のスター達が登場する貴重な映像が見所だ。
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ジョン・ウェインが、撮影所のアルバイトとして雇われて、「マザー・マクリー」(1928)のセットのガチョウ係をしていた時、フォードとは知らずに出会い、映画界入りが決まったエピソードを懐かしそうに語る。(1969撮影)
*実際には「マザー・マクリー」以前に、既にジョン・ウェインは出演作がある。

ヘンリー・フォンダが、「若き日のリンカン」(1939)の出演が決まり、フォードのオフィスに呼ばれた時の様子を語り始める。(1969)

そしてスティーヴン・スピルバーグが、前作で出演していた”フォード一家”の面々が、新作でも登場するのが楽しみだったことを語り、フォードに可愛がられたハリー・ケリーJr.が登場する。(2006)

ハリー・ケリーJr.は、偏屈なフォードの傲慢さに参ってしまい、即、彼を嫌いになるものの、撮影終了と共にフォードのことを好きになったことを懐かしそうに語る。

スピルバーグは、「リバティ・バランスを射った男」(1962)をドライブ・イン・シアターで見た時の衝撃を語り、いつも気迫が足りないと思っていた彼が、ジェームズ・スチュワートの役に感情移入していたことを語る。

ジェームズ・スチュワートは、フォードの撮影現場の緊張感を語る。(1969)

続けてジョン・ウェインが、「駅馬車」(1939)の撮影が進む中で、フォードの”遊び心”の罠にはまり、危うく共演者である、アンディ・ディヴァインとの友情を壊されそうになったことを語る。(1969)

さらにハリー・ケリーJr.は、「三人の名付親」(1948)の撮影中、フォードから演技に注文を付けられ、改善出来ずにいたところ”殺されかけた”ことを話す。(2006)

ジェームズ・スチュワートも、「リバティ・バランスを射った男」(1962)の撮影中、フォードとは何度もコンビを組んで、親子のような関係だったジョン・ウェインでさえも、彼に睨まれていたことを語る。(1969)

ジェームズ・スチュワートは、優等生として扱われていたのだが、共演のウッディ・ストロードの衣装に意見したことで、フォードは撮影隊の前で、皮肉たっぷりにJ・スチュワートを偏見の持ち主と言い放つ。

そしてジョン・ウェインが、仲間入りをした自分を歓迎したということを、ジェームズ・スチュワートは苦笑いしながら語る。(1969)

モニュメント・バレー”。
フォードが、9作品の撮影現場として使ったこの地のメサの前で、弱冠30歳のボグダノヴィッチが、巨匠ジョン・フォードにインタビューを行う。(1969)

非常に不機嫌そうなフォードは、ボグダノヴィッチを嫌い、彼を、あからさまに馬鹿にしているような態度を見せて、まともな答えを返さずに自らカットしてしまう。

スティーヴン・スピルバーグは、15歳位の時に偶然にもフォードと会う機会があったことを興奮して語る。(2006)

スピルバーグは、フォードから壁にかけてある絵を見せられ、地平線の位置を構図の一番上か下に置くことで、芸術としての価値が変わると教えられたことを語る。

そんな、フォード自身の人物像を表現した、最も典型的な作品が「捜索者」(1956)だと、マーティン・スコセッシは語る。(2006)

ここまでで、フォードの人となりを物語るには十分な展開となり、なるほどマーティン・スコセッシの言うとおり、ジョン・ウェインの演ずる”イーサン・エドワーズ”は、フォードを髣髴させる人物像だということがよく分かる。

ハリー・ケリーJr.は、フォードが、恩人でもあり26作でコンビを組んだ、父ハリー・ケリーに感謝していたことを語る。(2006)

ジョン・フォード、本名”ショーン・アロイシャス・オファーナ”は、1894年、アイルランド移民の子としてメイン州で生まれた。

映画スター兼、監督だった兄フランシス・フォードの影響で1914年に小道具係として映画界入りした。

酔った監督の代役をさせられたフォードは、プロデューサーに気に入られ、監督未定のハリー・ケリー作品に抜擢された。

ジョン・ウェインは、フォードは俳優をいたぶりながら一人前にしようとする、それが彼のやり方だと語る。(1969)

ヘンリー・フォンダは、撮影隊は毎晩キャンプファイアを開き、その度に出し物をフォードが要求し、フォンダがその担当者だったことを語る(1969)

ハリー・ケリーJr..は、フォードのセットには厳かな雰囲気があったことを語る(2006)

マーティン・スコセッシが、「馬上の二人」(1961)の有名なシーン、連邦保安官ジェームズ・スチュワートが、騎兵隊の要請で砦に向かう途中、部隊長リチャード・ウィドマークと川辺で小休止する場面を指摘し、自分もそんな配役で撮ってみたいと語る。(2006)

ジェームズ・スチュワートが、その時の現場の様子を語り、1969年のインタビューの場にいたボグダノヴィッチは、当時を振り返り補足する。

モニュメント・バレー”のインタビュー。(1969)
まともな受け答えをするようになったフォードは、撮影に入る前の準備の様子などを語り、1テイクで十分だと言い放ち、最初の演技が新鮮だということを強調する。

それでもフォードは、偶然が起きた時にはそれを生かし、都合よく物事が運んだとも語る。

フォードは1テイクでないと機嫌が悪いと、ヘンリー・フォンダも同じように語り、偶然を利用して、太平洋戦争中では、激戦のミッドウェー海戦に遭遇し、見事な映像を撮影したのも事実だった。
*「ミッドウェイ海戦」(1942)は、アカデミー・ドキュメンタリー映画賞を受賞する。

モニュメント・バレー”のインタビュー。(1969)
偶然が起きればそれを撮る、フォードは「黄色いリボン」(1949)の有名な稲妻のシーンを回想する。

フォードに言わせれば、”無能”なカメラマンのウィントン・C・ホックが渋々撮ったそのシーンで、彼はアカデミー撮影賞を獲得した。

しかしモーリン・オハラは、「わが谷は緑なりき」(1941)の結婚式のシーンで、ベールが風に舞ったのを”フォードの幸運”だと言うのきっぱりと否定し、あれは彼が設置した、扇風機の効果だと言い切る。(1992)

そこからボグダノヴィッチは、そのシーンの直後の木陰の人物、牧師役ウォルター・ピジョンの遠景ショットについて解説を入れる。(2006)

多くのショットを撮り過ぎると、製作者側が口を出したがるため、それを嫌ったフォードは、余分なシーンは撮らなかったことを、クリント・イーストウッドが説明する。(2006)

その後、スティーヴン・スピルバーグウォルター・ヒルマーティン・スコセッシクリント・イーストウッドが、フォードの人物描写と構図の素晴らしさを語り始める。(2006)

そしてスコセッシが、「捜索者」(1956)で、牧師兼警備隊長のウォード・ボンドが、ジョン・クゥオーレンハリー・ケリーJr.ケン・カーティスらを従えて、コマンチ討伐に出発しようとするが、イーサン(ジョン・ウェイン)が戻ったことを知らずに、彼の兄の家を訪れるシーンの素晴らしさを語る。(2006)

そして、ジョン・ウェインジェームズ・スチュワートが、台詞を入れ過ぎないフォードの手法を解説する。(1969)

モニュメント・バレー”のインタビュー。(1969)
フォードは会話が必要だということも主張し、サイレント映画の苦労を語る。

ウォルター・ヒルが、フォード作品は一見荒削りに思えるが、実は非常に複雑であると語る。(2006)

ボグダノヴィッチは、フォードの最後の傑作とも言える「リバティ・バランスを射った男」(1962)の結末が、「アパッチ砦」(1948)に似ていることを指摘しする。

そしてボグダノヴィッチは、多くの者が、両作でフォードは、伝説を事実として捉えさせようとしたと言ったが、それを願ったのではなく、フォードは事実を語り描いただけで、歴史が正しいとは限らないという”皮肉”が、この2作の共通点だと解説する。(2006)

若き日のリンカン」(1939)では、音楽もまた作品を語るものとして効果的に使われている。

ヒロイン”アン・ラトレッジ”のテーマ曲であるアルフレッド・ニューマンの名曲は、「リバティ・バランスを射った男」(1962)でも使われている。

また、スティーヴン・スピルバーグは、フォード作品は、あらゆる分野の儀式のコレクションだとも語る。(2006)

ジョン・ウェインは「黄色いリボン」(1949)の中で、自らが演ずる退役軍人が最後の閲兵で、整列した部隊員から記念品の銀時計を贈られ涙するシーンの、フォードの演出を振り返る。(1969)

過剰な感傷を避けるために、フォードはあえてユーモラスな仕草をジョン・ウェインにさせたりもした。

フォード作品の背景には、アメリカの開拓の歴史が描かれていた。

家族の温かさを描くフォード作品だったが、彼の実生活の家族関係は酷かったことをハリー・ケリーJr.は語り、反動となって作品に愛が溢れたと、クリント・イーストウッドが解説する。(2006)

そしてその両者が描かれる「わが谷は緑なりき」(1941)のシーンが映し出される。

その家族が、避けて通れないことで切り離された時、フォードは新たなイマジネーションを感じ取る。

Mary of Scotland」(1936)で恋に落ちたフォードキャサリン・ヘプバーンだったが、二人が親密だった期間に、フォードは傑作を連発している。

1973年、フォードが亡くなる年、彼の伝記を執筆していた孫のダン・フォードが、キャサリン・ヘプバーンを祖父の元に連れて行き、二人の会話がテープに録音されていた。

あのフォードが、キャサリン・ヘプバーンには頭が上がらず、そしていかに愛していたかがよくわかる貴重な会話だ。

フォードは、愛弟子ジョン・ウェインとのコンビの中で、最も情熱的な愛を描く作品「静かなる男」(1952)で、ウェイン演ずる主人公を自分の本名”ショーン”にした。

そしてヒロインのモーリン・オハラの役名は、愛するキャサリン・ヘプバーンの”ケイト”と、妻メアリー・マクブライド・スミスの”メアリー”を組み合わせてつけている。

モーリン・オハラは、”腹が立ち、詐欺師、真意がつかめず策略家、何にでも反論し言葉を返したが、優しく親切でユーモアもある、長所も短所も受け入れられる、愛すべき人物がジョン・フォードである”と語り、感極まって涙する。(1992)

ウォルター・ヒルは、フォードは正にパイオニアだったと語る。(2006)

ピーター・ボグダノヴィッチは、フォードが他の監督と違うのは、その霊的感覚にあると語る。(2006)

荒野の決闘」(1946)で、ヘンリー・フォンダが18歳で死んだ弟の粗末な墓の前で語り、「プリースト判事」(1934)では、ウィル・ロジャースが、亡くなった妻子の写真に語りかけ、「黄色いリボン」(1949)で、ジョン・ウェインが妻の墓前で彼女に語りかける。

わが谷は緑なりき」(1941)では、炭鉱の事故に遭った夫ドナルド・クリスプを、妻サラ・オールグッドと娘のモーリン・オハラ、命を落とした息子の妻アンナ・リーとで、その安否を見守る。

そして、牧師ウォルター・ピジョンと共に父を救いに行った幼い息子ロディ・マクドウォールが、命を落とした父や家族との想い出を思い起こす。

フォードが、フォード一家の面々を作品に使い続けたのには意味がある。

全ての作品を切り離して考えるべきではなく、どの作品も、”ジョン・フォード”の世界や歴史を映し出したものだとも言える。

フォードの経歴は敗北や抵抗を繰り返し、それを反映する一人の男として主人公が描かれる。

ジョン・ウェインは、ハリー・ケリーが作品の中で、よく左手を右ひじに添える仕草をみせ、孤独な男を表現したことを語る。

捜索者」(1956)のラストシーン。
室内からのショット 、中央のジョン・ウェインは、救出したナタリー・ウッドを抱きかかえ、隣人のジョン・クォーレンと妻オリーヴ・ケリーに託す。

画面の奥には、ウェインと共に妹(ナタリー・ウッド)を捜し続けたジェフリー・ハンターと、彼の帰りを待ち焦がれていたヴェラ・マイルズがいて、二人は寄り添いながら家の中へと入っていく。

しかし、全てが解決し、安堵と喜びが溢れる場面で、ジョン・ウェインだけが部屋に入ろうとしない。

そしてウェインは、ハリー・ケリーのポーズをとり、振り向いて、再び孤独な旅に出る。


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