MLB/メジャーリーグ・ベースボール史上初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソンの苦闘を描く、監督、脚本ブライアン・ヘルゲランド、主演チャドウィック・ボーズマン、ハリソン・フォード、ニコール・ベハーリー他共演の実録ドラマ。 |
■ スタッフ キャスト ■
監督:ブライアン・ヘルゲランド
製作:トーマス・タル
製作総指揮
ジェイソン・クラーク
ディック・クック
ジョン・ジャシュニ
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
撮影:ドン・バージェス
編集
ケヴィン・スティット
ピーター・マクナルティ
音楽:マーク・アイシャム
出演
ジャッキー・ロビンソン:チャドウィック・ボーズマン
ブランチ・リッキー:ハリソン・フォード
レイチェル・アネッタ・アイサム・ロビンソン:ニコール・ベハーリー
レオ・ドローチャー:クリストファー・メローニ
ウェンデル・スミス:アンドレ・ホランド
クライド・スークフォース:トビー・ハス
ピー・ウィー・リース:ルーカス・ブラック
ラルフ・ブランカ:ハミッシュ・リンクレイター
ディクシー・ウォーカー:ライアン・メリマン
カービー・ヒグビー:ブラッド・バイアー
エディ・スタンキー:ジェシー・ルケン
ベン・チャップマン:アラン・テュディック
レッド・バーバー:ジョン・C・マッギンリー
ダッチ・レナード:C・J・ニコースキー
クレイ・ホッパー:ブレット・カレン
ハロルド・パロット:T・R・ナイト
ハッピー・チャンドラー:ピーター・マッケンジー
アメリカ 映画
配給 ワーナー・ブラザーズ
2013年製作 128分
公開
北米:2013年4月12日
日本:2013年11月1日
製作費 $40,000,000
北米興行収入 $95,020,210
*詳細な内容、結末が記載されています。
■ ストーリー ■
1945年、春、ニューヨーク、ブルックリン。
”ブルックリン・ナショナル・リーグ・ベースボール・クラブ”(現ロサンゼルス・ドジャース)のゼネラルマネージャー、ブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、史上初の黒人選手起用を決める。
スカウトのクライド・スークフォース(トビー・ハス)とハロルド・パロット(T・R・ナイト)は反対するが、リッキーの考えは変わらず、それがまだ誰になるかは分からなかった。
1945年、夏、アラバマ州、バーミンガム。 1945年8月24日、ミズーリ州、24号線。 選手を探していたリッキーは、”ジャック・ルーズベルト・ロビンソン”に目を付けて、クライド・スークフォースに連れて来るよう指示する。 8月28日。 月給600ドルに、契約金3500ドルを支払うと言うリッキーは、それを承諾したロビンソンに、怒りを抑えられるかを問う。 これから起きるあらゆる差別に対し、やり返さない勇気を持つ選手になってほしいと語るリッキーは、紳士であり偉大な選手だと示すことが勝利する道だとロビンソンに伝える。 ロビンソンは、自分にユニフォームを与えてもらえるのなら、勇気で応えることをリッキーに約束する。 カリフォルニア州、パサデナ。 ニューオーリンズ、レイクフロント空港。 その場で差別に遭いチケットを手配できないロビンソンは、仕方なくバスでキャンプ地に向かう。 フロリダ州、デイトナ・ビーチ。 ドジャースのキャンプ地を訪れたリッキーは、監督のレオ・ドローチャー(クリストファー・メローニ)に声をかけてチームの様子を訊く。 3Aの”モントリオール・ロイヤルズ”に合流したロビンソンは、スミスに言われたとおりに記者の質問に冷静に答え、待ち構えていたリッキーに迎えられる。 リッキーは、監督のクレイ・ホッパー(ブレット・カレン)にロビンソンを紹介する。 南部出身のホッパーが、プレーするロビンソンを侮辱したため、彼を公平に扱わない場合は職を失うことになるとリッキーは警告する。 サンフォード。 ドジャースとの試合に出場したロビンソンは、ヤジを受けながらカービー・ヒグビー(ブラッド・バイアー)と対戦し、フォアボールを選ぶ。 二塁盗塁に成功したロビンソンは、三塁も狙うものの塁間で挟まれてしまう。 しかし、諦めないロビンソンは、三塁盗塁も成功する。 マウンド上で苛立つヒグビーは集中できず、ボークでロビンソンがホームに帰る。 その夜、ブロックの家に現れた白人の老人に脅されたスミスは、リッキーに連絡して、ロビンソンには何も伝えずデイトナ・ビーチに戻るよう指示される。 車で町を通る際に危険を感じたスミスは、脅されたことをロビンソンに話す。 クビかと思ったロビンソンは、思わず笑ってしまう。 デランド。 散歩中にそのことをレイチェルに話したロビンソンは、近寄って来た白人男性を警戒するが、才能ある者は公平に扱われるべきであり、成功を祈っていると言われて励まされる。 その後ロビンソンは、開幕戦に出場するために、チームと共に行動するようにとリッキーから言われる。 ビジネスマンとして”ワールド・シリーズ”に勝つことが目的だと言うリッキーは、ロビンソンを励まし活躍することを期待する。 黒人少年エド・チャールズらの希望の星となったロビンソンは、開幕戦に向けて列車で旅立つ。 1946年4月19日、ジャージーシティ、インターナショナル・リーグ開幕戦。 二番セカンドで先発出場したロビンソンは、気分が悪くなったことで妊娠したことに気づいたレイチェルとスミスの目の前でホームランを放つ。 8か月後、パサデナ。 1947年2月16日、ビバリーヒルズ。 3月18日、パナマ。 チームに合流したロビンソンは、一塁しか空きがないために、その練習を始める。 ショートのピー・ウィー・リース(ルーカス・ブラック)は、揉め事に巻き込まれたくないために署名を断る。 選手達の嘆願書のことでドローチャーに電話をしたリッキーは、違反行為だと言って対処させる。 夜中に選手達を集合させたドローチャーは、肌の色は関係なく、才能あるプレーヤーのロビンソンをプレーさせることを伝えて反論を許さない。 嘆願書は撤回され、それでもロビンソンとのプレイを拒んだダッチ・レナード(C・J・ニコースキー)を、リッキーは容赦なくトレードする。 ニューヨークに着いたロビンソンはスミスに迎えられ、戸惑う自分を支えてくれる彼に感謝する。 コミッショナーのハッピー・チャンドラー(ピーター・マッケンジー)からの電話を受けたリッキーは、ドローチャーのスキャンダルを指摘され、1年間野球界から追放すると言われる。 ロビンソンの件に対する明らかな圧力であり、ドジャースの後任の監督探しは難航したまま開幕を迎えることになる。 それに屈しないリッキーは、ロビンソンとドジャースの契約を発表する。 1947年4月15日、”エベッツ・フィールド”。 グラウンドに出たロビンソは、歓声とヤジの中で記者達に囲まれながら、スタンドのレイチェルと抱かれる息子を見つめる。 国歌斉唱の様子を感慨深げに見守るリッキーは、ロビンソの活躍に期待する。 レッド・バーバー(ジョン・C・マッギンリー)の実況と共に試合は始り、ロビンソンが打席に入る。 三塁のヒット性の打球を放ちセーフと思われたが、審判はアウトと判断してロビンソンは悔しがる。 その後リッキーは、既に引退していたバート・ショットンを代理監督にしようと考えて彼を説得する。 4月22日、ブルックリン。 凡打したロビンソンは、チャップマンから罵られるものの、怒りを抑えてロッカールームの通路に向う。 バットを壁に叩きつけて悔しがるロビンソンは涙し、現れたリッキーに怒りをぶつける。 自分を捨てて、人々の期待を裏切るなとリッキーから言われたロビンソンは、グラウンドで戦い世界を変えろという言葉に励まされる。 試合に戻ったロビンソンは、尚もチャップマンにヤジられ、見かねたエディ・スタンキー(ジェシー・ルケン)がダッグアウトを出る。 チャップマンを非難するスタンキーは、主審に警告されて引き揚げる。 打席のロビンソンはヒットを放ち盗塁に成功し、投球が逸れる間に三塁に進み、次の打者のヒットでホームインする。 ダッグアウトに戻ったロビンソンはスタンキーに感謝し、チームだから当然であり、よくやったと言われる。 試合に負けたチャップマンは記者の質問に答え、ユダヤ人や他の人種にも同じような発言をしていると話し、観客は喜び翌日には忘れると伝える。 当初はロビンソンとの契約に乗り気でなかったハロルドや、トレードを言い渡されたレナードも考えを変える。 それでもロビンソンの存在を認めようとしないヒグビーは、ピッツバーグ・パイレーツにトレードされてしまう。 フィリーズと対戦するために遠征するドジャースだったが、リッキーは相手チームから試合をしないという連絡を受ける。 それを無視するリッキーは、フィラデルフィアに向かうことを相手に伝える。 5月9日、フィラデルフィア、ベン・フランクリン・ホテル。 フィリーズが差別主義者のレッテルを貼られる可能性がある事態になり、チャップマンは、態度を改めるようにとゼネラルマネージャーから言われる。 和解を求めるチャップマンからの申し出を受けたロビンソンは、グラウンドで観客と記者を前にして写真撮影に応ずる。 5月17日、ピッツバーグ。 その後、地元に近いシンシナティ遠征に向かうリースは、ロビンソンのことで脅迫する内容の手紙が届いたことをリッキーに知らせる。 それを気にしないリッキーは、大量の脅迫文をリースに見せて、ロビンソンはそれに耐えながら戦い、野球界は岐路に立っていることを伝える。 6月21日、シンシナティ、クロスリー・フィールド。 8月20日、ブルックリン。 試合後、傷の手当てを受けていたロビンソンは、記者達を追い払ったリッキーから、白人の少年達が自分の真似をしていたと言われる。 なぜ自分をメジャーに入れたかを再び訊かれたリッキーは、ファシズムに勝利した我々は、次に人種差別に立ち向かい勝たねばならないとロビンソンに伝える。 本当の理由を知りたいとロビンソンから言われたリッキーは、何よりも野球が好きだと答える。 かつて支えてやれなかった黒人選手のことを語るリッキーは、再び野球を愛することをロビンソンから教えられたと伝えて感謝する。 その後、シーズン最後の遠征に出たドジャースは、ロビンソンの活躍で優勝まであと1勝となる。 9月17日、ピッツバーグ。 パイレーツ・ファンからの声援も受けながら、ロビンソンはダイヤモンドを一周する。 黒人であるために記者席に入れないスミスは、その様子をスタンドで記事にする。 ウェンデル・スミスは、1948年に黒人として初めて野球記者協会の記者となる。 エディ・スタンキーは、セントルイス・カージナルス、シカゴ・ホワイトソックス、テキサス・レンジャーズの監督になる。 ラルフ・ブランカはオールスターに3度選ばれ、1947年のシーズンは21勝した。 ベン・チャップマンは1948年に解雇され、二度と監督にはなれなかった。 ディクシー・ウォーカーは翌年トレードされ、ピッツバーグ・パイレーツに移籍する。 ジャッキー・ロビンソンに憧れた少年エド・チャールズはメジャーリーガーとなり、1969年、”ミラクル・メッツ”の一員としてワールド・シリーズを制覇する。 レイチェル・ロビンソンは、1973年に”ジャッキー・ロビンソン財団”を設立し、若者達に奨学金の交付を行っている。 ジャッキー・ロビンソンは、1947年の新人王に選ばれ、彼に続き、1948年にロイ・キャンパネラ、1949年にドン・ニューカムが入団した。 1955年、ブルックリン・ドジャースはニューヨーク・ヤンキースを破りワールド・シリーズを制覇し、ロビンソンは、第一戦でホームスチールを決める。 毎年、4月15日、メジャーリーグではロビンソンの偉業を称え、全選手が背番号”42”をつけてプレーをする。 その背番号”42”は、唯一の全球団の永久欠番である。
ニグロ・リーグ”カンザスシティ・モナークス”のジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)は、俊足を生かした注目選手だった。
...全てを見る(結末あり)
ガソリンスタンドでトイレに入ることを許されなかったロビンソンは、差別に屈するような男ではなかった。
リッキーに呼ばれたロビンソンは、3Aの”モントリオール・ロイヤルズ”に入り、成績がよければブルックリン・ドジャースでプレーさせると言われる。
恋人のロビンソンから電話を受けたレイチェル・アネッタ・アイサム(ニコール・ベハーリー)は、結婚を申し込まれて承諾し、二人は結婚する。
白人専用トイレを初めて見たレイチェルが躊躇せずに中に入ってしまったため、ロビンソンは驚く。
スポーツ・ライターのウェンデル・スミス(アンドレ・ホランド)は、到着したロビンソンに声をかけて、リッキーから、専属の記録係兼広報担当で世話もするようにと言われたことを伝える。
ホテルに泊まれないロビンソンは、ブロック家に滞在することになる。
活躍するロビンソンを見てグラウンドから追い出そうとした保安官だったが、ホッパーがそれを制止する。
レイチェルは無事に男の子を出産し、父親が家出したロビンソンは、一生、この子の側を離れないことを誓う。
リッキーからの電話を受けたドローチャーは、ロビンソンのメジャー昇格に異論がないことを伝える。
キャンプ地に着いたドジャースのヒグビーらは、ロビンソンとのプレーを拒否する署名をする。
ロッカールームに向かったロビンソは、ラルフ・ブランカ(ハミッシュ・リンクレイター)らに歓迎され、その日はロッカーが用意されていなかったが、背番号”42”のユニフォームを確認する。
相手チーム、フィリーズの監督ベン・チャップマン(アラン・テュディック)は、ロビンソンに対して容赦なく差別的なヤジを飛ばす。
ホテル側からチーム全員の宿泊を拒否され、それをディクシー・ウォーカー(ライアン・メリマン)から自分のせいにされたロビンソンは彼と揉める。
パイレーツのオスターミューラーから、ロビンソンが頭部にデッドボールを受け、選手達は乱闘になる。
激しいヤジを受けながら守備につくロビンソンに駆け寄ったリースは、彼を励まして肩を組む。
一塁ベース上を駆け抜けた打者に、わざと脚を踏まれたロビンソンは倒れ込むものの立ち上がり、報復しようとするチームメイトを制止する。
オスターミューラーとの因縁の対決となったロビンソンはホームランを放ち、ドジャースは優勝して、ワールド・シリーズの進出を決める。
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ブランチ・リッキーは1967年、ピー・ウィー・リースは1984年に野球殿堂入りした。
*(簡略ストー リー)
1945年、ブルックリン・ドジャースのゼネラルマネージャー、リッキーは、史上初の黒人選手起用を決める。
ニグロ・リーグで活躍するジャッキー・ロビンソンに目をつけたリッキーは、彼を傘下のマイナー・チームに入れる。
その後も活躍したロビンソンは、今後、体験することになる様々な厳しい状況に耐える決心をして、メジャーリーグに昇格する。
1947年、史上初の黒人選手となったロビンソンは、観客、対戦相手、チーム内からの想像以上の差別に耐えながら、妻レイチェル、リッキー、専属記者のスミスらに支えられ、野球界の歴史を変えるために戦い続ける・・・。
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野球をテーマにした映画は数ある中で、名作と言われる作品は意外に少ない。
MLB史上、最も尊敬される選手として知られるジャッキー・ロビンソンの実録ドラマということで話題になった作品。
単に人種差別に耐える姿を描いた物語ではなく、事はかなり複雑で、悪く言えば、終戦直後の野球界の活性化に利用された一選手が、それを理解しつつ、苦しみながら将来、後を継ぐ者達のために戦う姿は痛々しいほどだ。
序盤で、ブルックリン・ドジャースのゼネラルマネージャー、ブランチ・リッキーが、ビジネス優先で黒人を起用するような話をするが、終盤でその真意をジャッキー・ロビンソンから訊かれ、野球への愛のために行動し、それを教えられたと語る姿は実にアメリカらしい演出だ。
終戦直後の、黒人に対してだけでないアメリカに根付く人種偏見の様子や、セット、衣装、スタジアムの雰囲気など、当時を再現した描写や映像も素晴らしい。
製作費は4000万ドル、北米興行収入は1億ドルに迫るヒットとなった。
不屈の男であるアメリカの英雄ジャッキー・ロビンソンを見事に演ずるチャドウィック・ボーズマン、彼をMLB史上初の黒人選手として起用するブルックリン・ドジャースのゼネラルマネージャー、ブランチ・リッキーのハリソン・フォード、主人公を支える妻レイチェル・アネッタ・アイサム・ロビンソンのニコール・ベハーリー、ブルックリン・ドジャースの監督レオ・ドローチャーのクリストファー・メローニ、主人公の世話係兼専属記者ウェンデル・スミスのアンドレ・ホランド、コーチ兼スカウト、クライド・スークフォースのトビー・ハス、主人公と友好関係を深める選手ピー・ウィー・リースのルーカス・ブラック、チームメイト、ラルフ・ブランカのハミッシュ・リンクレイター、ディクシー・ウォーカーのライアン・メリマン、カービー・ヒグビーのブラッド・バイアー、エディ・スタンキーのジェシー・ルケン、ダッチ・レナードのC・J・ニコースキー、主人公を差別するフィラデルフィア・フィリーズの監督ベン・チャップマンのアラン・テュディック、実況アナウンサー、レッド・バーバーのジョン・C・マッギンリー、リッキーの補佐T・R・ナイト、コミッショナー、ハッピー・チャンドラーのピーター・マッケンジーなどが共演している。